<2005年1月号>


第6回 平成16年12月16日(木)         

参加者  節子 聖子 光子 由紀子

二日市温泉 大丸別荘

今月の吟行は「忘年会」を兼ねて、節子さん、聖子さんの自宅近くの二日市温泉とする。

風邪で出席が危ぶまれていた聖子さんも参加できると連絡があり、4人全員の参加にほっとする。光子さんと由紀子はJRにて二日市駅へ。大宰府天満宮に因んでの朱色の社殿風な駅舎を出ると、すぐに聖子さんを乗せた節子さんの車が駅前に横付けにされる。予定通り10時半集合。さっそく目的地の「大丸別荘」へと向かう

     

近くの大宰府には、車やバス、西鉄電車で何度か足を運んだことがあるが、この二日市温泉は初めてであり、「大丸別荘」は旅行本のみで見る「一度は泊まって見たい宿」。とても楽しみな吟行である。

 二日市温泉の歴史は古く、奈良時代(1300年前)の大宰府政庁までさかのぼる。当時この地方で疫病が流行っていたが、神のお告げで見つけたお温に浸かると、たちまち病気が治ったという伝えのある温泉である。その大宰府政庁の元師である大伴旅人が「万葉集」にこう詠んでいる。

       湯の原に鳴く芦田鶴は吾が如く  妹に恋ふれや時わかず鳴く   <大伴旅人>

   旅人が湯浴みした際、鶴の鳴き声に亡き愛妻を偲んで詠んだ一首であるが、この歌の詞書きには「次田(すいた)の湯」とある。二日市温泉と命名されたのは昭和25年らしい。

また江戸時代には黒田藩の日田街道の宿場町として栄える。藩主の入湯のために「御前湯」が設けられ、その名前は、今でも公営の温泉浴場「御前湯」として残されており、地元の人々に親しまれている。そして明治以降、この温泉場は石炭景気に支えられ、博多の奥座敷として栄える。

今でも大宰府天満宮への参拝や、大宰府政庁跡(都府楼跡)や菅原道真公が無実を訴えて天に拝んだという天拝山などの史跡巡りの拠点として、観光客でにぎわうが、別府や雲仙などの大温泉のある九州では、やや地味な温泉町である。湯煙が立ち上がることもないが、博多の奥座敷ということもあり、豊かな自然と歴史ある筑紫野を愛する文人墨客は多く、歌碑、句碑がたくさん建てられている。 

       温泉のまちや 踊ると見えて さんざめく  <漱石>

 明治29年、夏目漱石がこの地を訪れた際、当時の温泉街の賑わう様子を詠んだものである。JR二日市駅には、野口雨情の「筑紫小歌」の歌碑があり、街中の温泉宿「玉泉館」には、虚子、年尾、汀子の句碑が建てられている。

       更衣したる 筑紫の 旅の宿      <虚子>

       温泉の宿の 朝日の軒の 照紅葉    <年尾>

       梅の宿 偲ぶ心の ある限り      <汀子>

 二日市駅から車で5分。柳並木の大通りに、前述の「御前湯」と明治39年創業の公衆温泉「博多湯」を見て、狭い湯町の道を通り抜ける。途中「虚子三代句碑の宿 玉泉館」の看板を見つける。筑紫野インターチェンジに近い国道31号線にでるとすぐに、今日の目的地「大丸別荘」の表玄関がある。

   

創業は慶応元年(1865年)。皇族の泊まる宿として知られ、3000坪の日本庭園を有する純和風の造り。11時からの入室に少し時間があるので、広い駐車場から庭園の方に回ろうとするが、木の塀に遮られて見えない。木の塀より中を覗き見る。時間がきたので、受付をすませる。 フロントの女性は、和服姿でにこやかな笑顔。昭和亭の一階に案内される。

やはり平日の昼間の客はあまりいないのか、広い亭内はがらんとしており、迷路のような廊下を歩いていく。平安亭、大正亭、昭和亭とあり、それぞれに趣きが違うらしい。案内された昭和亭は、10畳+4畳半の和室で、庭に面した4畳半には堀炬燵がある。塀が高く曇り空ということもあって、室内はほの暗い。ほどなく料理が運ばれてくるが、昨夜から風邪気味で、食欲があまりない。宿自慢の料理は、どれも小奇麗に盛られ、いつもなら残さず食べるのだが、今日はどうもいけない。それでも聖子さんの楽しいフランス旅行の話や、風邪を引いているのに外で流れ星を見た話など聞いているうちに、だんだん元気になる。温泉に来たからには温泉に入らねばと、二階の大浴場に上がっていく。

「次田(すいた)の湯」と名づけられた100坪の岩造りの風呂は、玉石が敷かれ、露天湯にいるような感覚だ。木枠の窓の向こうは木々と空が見え、沸き流れるお湯の音と、時折聞こえる鳥の声の中で、子供の頃の川遊びを思い出す。4人貸切のお風呂で泳いでみる。

   

         真昼間の湯に打たれつつ年忘    光子

お風呂を出る頃には、他の客も一人二人やってきたが、ほとんど貸切状態で、温泉を満喫する。大きめの木製の椅子が並べて置かれている脱衣所は、木々の匂いがする。 

湯冷めをしないように、コートを着て広い庭園に出てみる。

         湯上りの庭園散歩冬暖か       節子

         庭園の池の小島も末枯るる      由紀子

四季折々に楽しめるように作られた庭園は広く、池の真ん中には茅葺の屋根の付いた橋がかかり、その橋で休めるように掛け椅子が設えている。紅葉の季節は過ぎたが、大きな楓が2,3本冬池に彩りを添えている。渡り廊下近くの池の面には、敷きつめたように紅葉が浮かんでいる。

         一陣の風に降り積む冬紅葉      光子

      散りてなほ池面彩どる冬もみじ    聖子

橋の手前には、昭和天皇来荘記念の碑があり、その横には他の皇族の記念の松が植えられている。新しいものには、つい一ヶ月半前の「とびうめ国文祭」の開会式にご出席された皇太子の来荘記念の松がある。亭内の廊下には、昭和天皇来荘の折使われたお膳一式などが、壁一面のガラスケースの中に収められていた。

  

         冬日さす陛下来荘記念の碑      節子

         皇族も泊まりし温泉宿冬紅葉     由紀子

 ゆっくり「大丸別荘」を堪能したが、句会の時間がなくなりつつある。時間がなくなれば温泉付き「食事会」のみということだったので、句会なしとする。ただし課題として、「覗きみる・・・・・・・冬紅葉」をつくることにする。

         覗き見る日本庭園冬もみじ

         覗き見る塀にひろがる冬紅葉

         覗きみる老い愉しんで冬紅葉

         のぞきみる女の本音冬紅葉

忘年会は句会なしとなったが、やはり1句でも2句でも句会をしたほうが、引き締まるような気がする。酉年は、さらなる飛躍の年となるべく吟行句会を楽しむことにしよう。