<2005年8月号>


第13回吟行記 7月14日(木)

参加者 聖子 節子 光子 真理子 由紀子

博多祇園山笠  

 あしや句会」の吟行句会は、毎月第3木曜日(たまに第2木曜日)と決まっているので、7月の句会日は14日となる。 6月吟行のすぐあと、節子さんの「7月は山笠吟行ちゅうのは どげんやろ」という一言で即決。
7月1日の飾り山笠の披露から15日早朝の追い山に終わる博多山笠は、例年まだ梅雨の明けきれぬ博多の町を熱くする。その山笠を句友と吟行することができるなんて願ったり、叶ったりだ。学生時代に4年間住み、今も時々行く博多だが、「流れがき」や「追い山」を見たことがない。「飾り山笠」の美しさだけに満足していた。特に学生時代は、祭見物より「山笠バーゲン」のほうが重要だった。
市の中心を流れる那珂川を境に西側が城下町の「福岡」、東側が商人の町「博多」。30年前に住んだ頃は天神界隈に人が集まり、昔ながらの博多商人の街・川端商店街は寂れつつあったような気がする。今では再開発などで、福岡市全体が良くも悪しくもミニ東京となり、マンションの立ち並ぶ街になったが、「博多どんたく」とともに「博多山笠」は、福岡市が九州の一極集中化で変貌していくにつれ大きく新聞・テレビに取り上げられている。「バーゲン」より「山笠」を楽しみたい年齢になったのかもしれないが、なにはともあれ7月14日から15日早朝は「博多祇園山笠」の最高潮の時だ。

 山笠行事のあらまし
 7月1日 飾り山笠一般公開(14日夜まで)
       夕方 お汐井取り(当番町)
    9日 夕方 お汐井取り(全流)
   10日 夕方 流れかき・流区域内
   11日 早朝 朝山・流区域内
       午後 他流がき・流区域外
   12日 追い山ならし(追い山リハーサル)
   13日 集団山見せ
   14日 夕方 流がき・流区域内
   15日 早朝 追い山

  

14日10時45分博多駅博多口「飾り山笠」前に集合。「さあ、山笠の街へ」と地下鉄に乗り、二駅目の「中洲川端駅」で降りる。地下鉄の階段を昇り、通りに出るとすぐに再開発ビルの「博多リバレイン」や「博多座」がある。その前の歩道に「十六番山笠博多レバレイン」の「飾り山」が据付けられている。「表」の標題は「三人吉三巴白浪」で、10メートル近くある山笠の上から「お嬢吉三」「お坊吉三」「和尚吉三」が見得をきっている。裏に回ってみると、ぶんぶく茶釜の狸が傘をさして綱渡りしている。標題は今発売されている玉三郎の「九月大歌舞伎」の演目と同じである。
「飾り山笠」は、毎年博多人形師によって、歴史上の人物やその年を象徴するテーマをもとに美しく飾られる。表には古典や歌舞伎などの史実を題材にしたものが多く、「見送り」と呼ばれる裏には、子供に人気のキャラクター等を用いることが多い。博多駅の山笠は「智将義経」と「空とぶひよこ」。どの山笠の前にも椅子が並べてあり、ゆっくり見ることができる。横の博多川に沿って歩く。六月の海老蔵の歌舞伎公演の始まる前の「船乗り込み」で賑わった川。川の流れは静かに海側から上がってくる。

博多座と出し物揃え飾山笠     光子

音もなく潮上がりくる夏の川     節子

連獅子のやさしき眼飾山笠    由紀子

    

和風食事処「吉一」にて昼食。街中のちょっと人に教えたくなる小奇麗なお店だ。お店を出て、山笠の中心「櫛田神社」に向かう。途中見つけた老舗の博多人形のお店では、光子さん、聖子さんがなかなかお店から出てこない。呼びに行ったはずの真理子さんまで出て来ない。人形店まで戻ると、広々と奥のほうまで人形が飾られていてギャラリーのようだ。昔の博多織を着た博多人形もあり一見の価値あり。お店の子供だろうか、法被を着た幼子が「オイサッ、オイサッ」と遊んでいる。
ようやくお店を出て、中洲の通りを歩く。締め込みに長法被を着た男衆が集まっている。「六番山笠 中洲流」の前に並んで記念写真を撮っている。水法被に長法被。流(ながれ)によって長法被の久留米絣の柄が違い、手拭いや襷は全流共通で役職を表すなど、今回の山笠吟行で随分物知りになったような気がする。川端通りには「八番山笠 走る飾り山」が商店街の中に飾られている。この山笠は、他の飾り山笠より少し低く、山小屋に入っていない。通りのお店には、所々に臨時休業の張り紙があったり、「山笠総代」の張り紙があったりする。

あちこちと臨時休業山笠の町    聖子

男衆みなよき顔の祭かな     由紀子

金物も仏具も山笠セール中    真理子

山笠のものの地下足袋脚絆干し  光子

祭前若者詰所縄はられ        節子

  

櫛田神社の裏門に着く。提灯の下をくぐると、「山笠」と書かれた常設の飾り山笠がある。狭い境内に祭の出店がでており、ちょっと座って「冷やし飴」を飲む。ずっと歩いてきた喉には気持ちのよい甘さだ。櫛田神社を通り抜けて、「追い山」見物のために予約しておいた宿に荷物を置きに行く。ネットで探した宿だが、走れば一分という近さで、参道脇にある古い数奇屋造りの純和風旅館だ。
予約する時、「14日の夜中はKBCの方達でいっぱいで御座いますので、少々うるさいかもしれませんが・・・よろしいでしょうか?」「KBC?]何故かその時、韓国の旅行団か宗教関係かと思った。「KBC?なんでしょうか?」と聞いてしまった。少し間があって「放送関係ですが・・・」この旅館は山笠時の九州朝日放送の常宿という。なんと素晴しい!!
玄関の屋根の所が少し傾いている。昔ながらの帳場や赤い緋毛氈の小さなロビー、大広間や小庭を見ながら長い廊下の奥にある階段を上り、二階の一室に通される。八畳にテレビと冷蔵庫があるが、普段は布団部屋ではないかと思うほど殺風景だ。一階の部屋はすべてKBCの会議室、仮眠室、締め込み室、メーク室などの張り紙がある。部屋は殺風景だが旅館自体は趣きがあり、外国人に人気があるのがわかる。
急遽節子さんも泊まることに決める。三人で素泊まり一万円とは格安だ。なんといっても櫛田神社に近い。荷物を置き、あらためて神社に御参りする。鳥居や赤い大きな御神灯の下がる楼門をくぐる。まず御参り。そしてお御籤。「吉」だったと思う。大銀杏から境内の方へ高く仕切りられ、中が見えないようになっている。小さな入口から入ると土の広場があり、真ん中に「清道」と書かれた旗が立っている。周りに桟敷席が設けられている。ここが「追い山」会場という。会場準備が進められている。

報道の機材次々祭り前         光子

切り売りの冷やしメロンも参道に  真理子

  

境内自体が狭いので、それを仕切って使う追い山会場は、びっくりするほど狭い。実際に足を運ばなければわからないことは多い。
櫛田神社は平安時代に創建され、博多の総鎮守。不老長寿、商売繁盛の神さまで、「お櫛田さん」として博多っ子に広く親しまれている。本殿の右側にある鶴の口から出る水は「霊泉鶴の水」といわれ、昔から枯れることなく湧き出る不老長寿の水という。一口飲んでみる。塩からい。あまり飲んだら体に良くなさそう。一口がよさそうだ。境内には樹齢千年の大銀杏や「博多べい」、「川上音二郎の寄進碑」、「博多歴史館」などがある。
神社から川端商店街を抜けて、今日の句会場「博多リバレイン」に向かう。通りには「山笠セール」の紙や旗がかけられ、それぞれに買い物もする。子供用の水法被が売られている。祭衣装の子犬もいて、だんだん法被姿の男衆が多くなる。通りは祭一色だ。

祭礼の衣装凛々しき犬も居て     聖子

丸き尻出して法被の祭の子     由紀子

明日動く山笠背に集う男衆     真理子

句会場の「リバレイン」五階のおしゃれな喫茶店。真ん中の席に陣取っての句会となったが、ウエイターは嫌な顔ひとつせず「俳句ですか?」といいながら、珈琲とケーキを運んでくれる。四時から「流舁き」が始まるので、間に合うように10句出し、7句選とする。(真理子さんには吟行終了間際に10句となったことを教えるようになってごめんなさいね)
句会を終え、気持ちはこれからが本番。「リバレイン」を出ると、さっきより法被姿の男衆の往来が激しくなっている。ほとんど長法被ではなく締め込みに水法被で、背中に「流」を大書きしている。男衆の集まっていく方向へ付いていく。見物人も多くなっている。大通りから中に入った通りには「勢(きお)い水」と言われる水が所々に置かれている。

山笠の舁き手集まる昂りに     節子

「西流」の「舁き山」の周りに男衆が集まっている。どうやらここから出発するようだ。
しばらく様子をみていると、だんだん静かになってくる。男衆の「祝いめでた・・・」の歌、その後の手締め「博多手一本」(いよーシャンシャン まいとつシャンシャン よーと三度シャンシャン、シャン)男衆の顔が締まってくる。
男衆も見物人も全く静かにただ時が来るのを待っている。少し離れた高台には太鼓が置かれ、秒読みが始まる。5・4・3・2・1ドーン!!

  

舁山笠の一本締めの一静寂     光子

水浴びて博多山笠駆け抜けし    節子

勢いよく走り出す山笠、勢い水をかける人。光子さん感極まって涙顔。それほど緊張感のある「舁き山」の出発だ。他の山笠も見ようと櫛田神社の方向に向かって歩き出す。水で濡れている通りはすでに「勢い水」のかけられた通り。7つの流がそれぞれの区域を駆け抜けている。「オイサッ、 オイサッ」の掛声のする通りにでる。速い!!重さ一トンもする山笠を、この速さで担ぎ手を交代しながら駆け抜けるのは難しい。それ故にこれほど真剣になるのだろう。いくつかの「舁き山」の走る姿をみて五時半ごろ解散する。

「博多祇園山笠」は、総鎮守櫛田神社の祭神のひとつ(すさのうのみこと)を祀る奉納神事。その起源や変容については諸説はあるものの1241年に大流行した疫病退散のため、承天寺の開祖・聖一国師が博多町衆が担ぐ施餓鬼棚に乗って博多市内をまわり甘露水をまいて祈願したことが始まりとされている。時代の流れとともに「山笠」の姿も変わっていったようだが、「舁き山」と「飾り山」の二つに分かれたのは比較的新しい。明治の中期に市中に電線が張り巡らされたことにより、高い山笠では町中を走れなくなり、この時期を境に走る山笠と豪華な装飾の飾り山笠になったという。川端通りで見たのは現在唯一の「走る飾り山」。走るのを見たいものだ。
「追い山」見物組は博多駅ちかくの「手羽屋」でホームページの「まいど」の管理者と一緒に食事。聖子さんとは初顔会わせ。今後ともよろしくね。夕食後、聖子さん帰宅。ごくろうさまでした。残る三人は宿まで歩く。

宿の大広間では何十人もの人達が放送の打ち合わせをしている。お風呂や洗面所が一階にあるので降りていくと、小部屋で休んでいる人、ミーティングしている人などいるが、静かだ。朝4時にアラームをセットして休む。一度3時ごろ人声で目がさめる。宿の中ではなく、通りから聞こえてくる声だ。窓をあけて神社のほうに目をやると、すでに人だかり。まだまだ寝ておこう。4時に起きて出かける準備をする。一階に降りるともう誰もいない。神社に着いた時は見物客の頭ばかりで山笠の通るのが見えるかどうかわからない状態。少しづつ前に詰めていく。もうすぐ4時59分。「祝いめでた」の歌が聞こえる。いよいよだ。秒読みがはじまる。そして太鼓の音。一番山笠は今年は「千代流」。ウウォー!!
次々に「流れ」が櫛田入りしてくる。雄叫びとタイムを発表する声、そして歓声。まだ明けきらぬ空に怒涛のような声が響く。早くから来ている人が一人二人と帰っていくので、その間を縫って前に行く。最後にあの「走る飾り山」が走る準備をしている。飾りの中央にいる虎の口から白い煙が吐かれている。

櫛田入り雄叫びあげて山笠走る   光子

廻りつつ煙はく虎飾り山笠       節子

    

走り終えた境内にはまだまだ人が多く残っているが、櫛田神社を回った山笠は承天寺や東長寺を周り、リバレインの「追い山廻り止」まで行くので、それを追いかけていく人もいる。だんだん明るくなった街には区域に帰ってきた山笠が商店街の中をまわっている。その後は車の通行止めになっていた通りも解除され、また普通の街に戻っていく。
櫛田神社では「山笠奉納鎮め能」が格調高く静かに執り行なわれている。鼓の音がつい先ほど終わった追い山の熱気を鎮めるが如く境内にひびく。まさしく「飾り山」の「静」で始まった山笠行事が「舁き山」の「動」となり、そして再び「能」の「静」へと戻る。その一部始終をみることができて、「山笠があるから博多ったい!!」を実感する。

祭果て鼓の響く鎮め能       由紀子

神社帰りにはKBCの上野敏子さん(ピンキー)や宿の玄関では草柳アナウンサーに遭遇するなどうれしいこともあり、なかなかの一泊二日の吟行句会でした。その後の光子さんのタフさには脱帽しましたが・・・。 皆さんお疲れさまでした。