<2005年11月号>


第16回吟行記 10月13日

参加者 聖子 節子 光子 由紀子

皿倉山山頂  (北九州市八幡東区)

10月の吟行地は皿倉山。13日朝、快晴というほどではないが、うっすらと雲のかかる空は穏やかで、予定通り山頂まで登ることにする。10時23分八幡駅に集合。ほぼ正面に位置する皿倉山に、駅前からタクシーに乗り「帆柱ケーブル山麓駅」へと直行する。大通りから住宅街に入るが、急な坂道となっている。ここ八幡東区は八幡製鐵所のお膝元。従業員数が四万人を越えていた昭和40年頃まで次々に建てられた住宅が山の上まで続く。急坂を離合する車に注意しながら上ると、まだ紅葉していない桜並木の奥に、こじんまりと「山麓駅」が建っている。駅から車で5分の距離だ。
どこの町でも、その町の「顔」となる山や川があるが、皿倉山(標高622m)は百万都市北九州の「顔」である。市内の山では最も高く、豊かな自然は市民の憩いの場所になっている。皿倉山、帆柱山、権現山などからなる帆柱自然公園は、動植物の宝庫で、観察会など四季を通じてイベントも多い。皿倉山頂までは、舗装された登山道路を車で上ることもできるし、のんびり景勝を堪能しながら帆柱登山道を歩いて登ることもできる。
今回は、ケーブルカーとリフトに乗って吟行予定。2001年開催の「北九州博覧祭」に合わせて新装されたケーブルカーは、最新鋭のスイス製の車両で、「はるか」号「かなた」号と命名される。全面ガラス張りで、回りの景色と段々遠ざかる町の両方を見ることができる。今日は特別なイベントもない日なので、乗客はわずか。運転手の横に4人並んで座る。ケーブルカーを占領し秋の山へと上っていく気分は、このうえなく心地良い。全長1100メートル、標高差約440mを5分で着く。「山上駅」に着くと、出口には「花みくじ」が置かれており、広場は展望台であり、花壇には小菊など秋の花がきれいに植えられている。前方左に歩いていくと階段があり、その上がり口に「雨情詩碑」がある。

  

「洞(くき)の海辺の 船もよい 船も帆がなきゃ 往(ゆ)かれない お供についた クマワニが 山で帆柱 伐りました その時伐った帆柱は 帆柱山の 杉でした」

この歌は昭和7年野口雨情が皿倉山で作り、森繁久弥の歌で発売されたそうだ。詩碑の前では毎年「雨情忌」が開かれている。
階段を上っていくと、このまま山頂に行きそうなので引き返す。リフト乗り場を駅員に聞くと、ケーブル駅の脇ににあるという。リフトにすぐ乗らず、右手に見える「山の上ホテル」の方へ歩いて行く。途中フィールドアスレチックの遊び場があり、好奇心旺盛な光子さんが、スィーとロープにぶら下がる。こんな時見ているだけでは面白くないので、節子さん、由紀子、聖子さんと皆次々とぶら下がる。手を放すタイミングを教えられ無事着地。子供たちがまだ小さく、家族で一緒に遊んだ頃を思い出す。
木々は色づきはじめている。少し風がでてきたようだ。空を見上げると、頭上を雲が飛ぶように流れていく。

早送り画像のごとく秋の雲       節子

秋山を流れる雲の早さかな      光子

山頂の雲急ぎ行く花ススキ     由紀子

  

国民宿舎「山の上ホテル」が見えてくる。レストランの「営業中」にホッとする。山頂で弁当を食べるのもいいが、レストランの暖かい食事はありがたい。この国民宿舎も来年の3月で閉じられるという。老朽化は否めない。

春来れば閉じる山宿いわし雲    由紀子

廃業の決まりし宿舎薄紅葉      節子

客は私たちのみである。窓際の席に座り、ハンバーグ定食やお蕎麦などそれぞれに注文する。10月になっても暖かい日が続いているが、さすがに山の上では暖かいものが美味しい。ガラス越しに秋の草や木々を眺める。ハンノキかヤシャブシが実(果穂)をつけている。その下には水引の花や蓼などの秋草が茂っている。ふらりと一匹の蝶が横切る。アサギマダラだ。志賀高原でみたアサギマダラが皿倉山でもみることができるなんて思いもしないこと。こんな時動植物に詳しい人がいるといい。東京の虫や草花の詳しい典子さん裕子さん温子さん等、そして九州の節子さん、後ろに付いて行くと自分も物知りになった気がする。

秋蝶に一瞬視界遮られ         聖子

ふうわりとあさぎまだらの秋の風   節子

化粧室に行きもせず、そっと口紅をひいた由紀子を見逃さず句を作る。節子さんも口紅をひいたのだろうか。

目のすみに秋の蝶見て紅をひく    節子

「山の上ホテル」を出ると、下方に「皿倉音楽堂」が見える。よくイベントの集合場所になる所だ。今日はこれ以上下へは降りず、リフトに乗って山頂に行くことにする。途中先生に引率された30人くらいの小学生の集団とすれ違う。道々他愛無い話をしながらゆるやかな坂道を登っていく。通草か郁子か、ようやく手の届く所に実をいくつもつけている。実が割れているので通草だろう。雲は流れ行き、青空が広がっている。アサギマダラが、ふわりまたふわりと姿をみせては消えていく。

  

言い訳の話も楽し秋晴れて        光子

秋蝶のふらり谷よりまた谷へ      由紀子

郁子通草いずれにしても秋の山     聖子

あけびの実晴れたる山に割れにけり  光子

リフト乗り場は、ケーブルカーの乗り場横の出口をでるとすぐにある。「山上駅」の駅員は一人か二人しか見当たらない。リフト乗り場にも係員は一人で、作業員らしき人が行き来している。止まっていたリフトは私たちが行くと、係員が動かす。リュックを前掛けにしてリフトにしがみつく。宙ぶらりんになった足元は、不安定ながら空中散歩しているがごとくだ。ススキの群落が美しい。

客乗れば動くリフトや秋の山       節子

客去れば止まるリフトや秋の山     節子

天高し浮きしリフトの宙になを      光子

  

山頂に着く。出口にある市民ギャラリーの建物をのぞく。写真家の撮った美しい景色や草木の写真が展示している。この写真もいいが以前展示していた「皿倉山の動植物」を見たかった。「山上駅」の木々の中にいた小さな鳥の名前もわかったかもしれないのに。建物の前に小さい植物園らしきものがあり、ハバヤマボクチ、ゲンノショウコ、ミズヒキソウ、ワレモコウ、カワラハハコ、ヤマジノギクなど秋の草花が咲いている。地味ながら風情のある花ばかりだが、盛りは過ぎている。少し坂を上がって展望台より北九州の街を一望する。若松や八幡・戸畑の工場群・スペースワールドの観覧車・メディアドームの銀色の屋根・門司の風師山などひとつひとつ指差していく。真正面に響灘の風力発電機が見える。西の端に海よりまっすぐ伸びる銀色の筋は遠賀川。生活の音も工場の音もなく、絵のごとく街や海が広がっている。心地よい風が吹いてくる。杉田久女の「朝顔や濁りそめたる市の空」と詠まれた空ではなく、煙突からの煙が少なくなった海と山に囲まれた都市の空だ。山頂はパラグライダーのメッカでもあり、ススキ原が下へとひろがっている。時折リフトの動く音が聞こえてくる。
ここから眺める景色は美しいが、さらに夜景は北九州市自慢のひとつで、以前は「百万ドルの夜景」と言われていたのに、それでは足りず「百億ドルの夜景」と値段が高騰している。

絵の如く動かざる船秋の湾       聖子

正面に風車よく見え秋の山      由紀子

秋天に草刈る音の響きけり       光子

  

周囲を4−5人の作業員が草刈りをしている。草刈機の4−5台の音はすざまじく、刈った草が宙に舞い、早々に展望室に入る。熱い珈琲を注文し句作、句会。ソフトクリームで締めくくる。
展望室から出て、反対側のテレビ塔寄りの南方面を眺めると、福知山を中心にした峰々が続く。河内の貯水池も見える。薄紅葉の山の中に静かに満々と水をはらせている。山頂には「九州自然歩道の原標碑」・珍しい「昆虫碑」・北原白秋の詩碑などもある。それを見ながら東側の自然歩道を下りていく。だんだん足場が岩になり急に視界がひろがる。岩の先端には「国見岩」の石標が立っている。
下をのぞくと断崖絶壁で足がすくむ。山頂に負けず劣らず、市街一望の場所だ。国見は、昔の支配者が高い所から国情を視察したところで国見名は各地に多い。現在ここではロッククライミングの練習がされてるという。聖子さん、光子さんは高所恐怖症ではないようだ。崖の先端から下を覗き込む。

山頂の崖に立ちゐて秋惜しむ     由紀子

来た径を戻る。名前はわからないが黄色の花が道辺に咲き、サルトリイバラの実が色づきはじめている。リフトに乗り、さらにケーブルカーにて「山麓駅」へと下りてくる。ここにもアサギマダラがふわりと姿をみせる。

秋の蝶リフト下りゆく足先に        節子

落葉積む軌道を山のケーブルカー   光子

「山麓駅」の駅舎の中に北九州の俳句グループの句が貼られている。八月末の吟行句だ。四季折々に楽しむことのできる山だが、残暑厳しい季節にもこうして集い俳句を作っている。山頂での30句以上の秀句を一読する。雨情や白秋も登り歌詞を書いた皿倉山。北九州のシンボル的な山だからであろう。白秋の山頂にある詩碑 「鉄の都」(一部分)には こう歌われている。

「たかる人波 さすがよ八幡 山は帆ばしら 海は北 船も入海 洞の海 」

余談だが、白秋は北九州関係の歌や詩を八編も作っている。「製鐵所所歌」「製鐵所運動競技応援歌」などもある。
「所歌」や「応援歌」は全従業員から募集し、その選者として招かれた白秋だったが、気に入ったものがなく、現在の「高見倶楽部」に泊まって自ら作詞したという。昭和5年(1930)のことだ。製鐵所と皿倉山ーどちらも北九州のシンボルだ。

「鐵なり、秋(とき)なり 時代は鐵なり 高鳴れ、この腕、世界の鐵腕」(所歌の歌いだしの部分)

「山麓駅」にタクシーを呼んで「八幡駅」まで戻る。時刻表を見ると、ほとんど待ち時間なしで電車に乗れそうだ。光子さんは小倉方面に用があり上り電車に1−2分しかない。挨拶もそこそこに、其々上りと下りのプラットホームへと向かう。私たちが階段からプラットホームに上ったと同時に、上りの電車が発車する。そこには光子さんの姿はなかった。サッと片足でも電車に入れて乗り込んだのだろう。解散。
折尾すぎてから聖子・節子さんは虹を見たらしい。今日のよき日の締めくくりとなったようだ。