<2005年12月号>


第17回吟行記 11月17日

参加者: 聖子 節子 光子 由紀子

 油山市民の森 油山観音正覚寺(福岡市 城南区)

 「杞陽忌」の旅の余韻がまだ残る11月の第三週。福岡市の「油山市民の森」の中腹にある「油山観音」を吟行する予定と節子さんより連絡がある。紅葉の美しいこの時期、吟行地に大宰府などを候補にあげていたようだが、10月開館の「九州国立博物館」を訪れる人が多く、周辺は混雑しているらしい。先月の皿倉山が北九州市民に親しまれている山であるように、油山(597m)は福岡市民に親しまれている山。キャンプ場や自然観察センターや観光牧場などがある。そこに「観音様」が安置されているとは知らなかったが、晩秋の山歩きは楽しみだ。
 11月17日10時05分大野城駅到着。いつものように節子さん、聖子さんが車で出迎えてくれる。このところ足腰が万全でないという聖子さんだが、いつもの聖子スマイルにホッとする。「大野城駅から油山へは少し時間がかかるが、田園風景や紅葉を眺めながらのドライブも吟行と思ってね。」と節子さん。車窓から見る景色はのどかな晩秋の里山だ。市街から離れるにつれ、?田や冬野菜の畑などが多くなる。その行く先々の風景の中にアクセントのように柿の実がたわわに熟れている。途中「いのしし出没中」の看板を見つける。山道に入る。山道といっても鬱蒼とした木々の中を通るのではなく、所々紅葉の混じるなだらかな坂道で、快適なドライブコースだ。
福岡市にはいっているのだろうか、人家が多くなり交通量も多くなる。後部座席に座っている二人は、初めての道にあっちを見たりこっちを見たり。油山の入口はもうすぐのようだ。

いのししが出没中と知りながら      節子

山柿のたわわや道に迷いけり       光子

 

大きな通りから、いつの間にか坂道になり山道になっている。桜紅葉の並木が美しい。すぐに展望台に着く。ここは油山の中腹らしく背後に高々と木々がそびえている。頂上まで行かなくても、ここから福岡市街が一望でき、正面には福岡タワーやヤフードーム、その向こうには博多湾。時折薄日の射す曇りがちな空だが、湾をなす海の中道やその先の志賀島まではっきり見える。能古島は意外なほど大きく近くあり、右手には花博「花どんたく」が開催されている人工島が見える。山は所々黄葉紅葉で色づき、地面には落葉が散り敷いている。巡回中のパトカーが展望台をゆっくり一回りして、また下りていく。

見下ろして見上げて山の紅葉かな     光子

冬ざれの町に機影の降りてゆく      由紀子

       

少し坂道を下り「油山観音」へと向かう。山の中腹にしては広い境内があり、ここからも市街地が一望できる。福岡の街を見下ろしながら境内にある「幸福の鐘」を撞き、「ひばり観音」にお参りする。「ひばり観音」のご神体は、もちろん「美空ひばり」さん。福岡市在住の彫塑家が、平成3年に石膏像でつくり法要し、平成4年に青銅像で完成させ一般公開したものだ。100円入れると、ひばりさんの歌が流れる箱があるのが、良いような悪いような何とも言いがたい気持ちになるが、一時は福岡市内の病院で快方に向かわれたひばりさん。52才の若さで亡くなったひばりさんが観音様となり福岡市街地や博多湾を毎日眺めていることを思うと、「幸福の鐘」の音も心に響いてくる。
山側の一段高い所に紅葉に囲まれたお寺が建っている。今日のハイライト「油山観音正覚寺」。寺伝によると、奈良時代、清賀上人が日本に渡ってきて(インド、中国からの二つの説)荒津の浜から上陸して山に登り、その山に茂る白椿に千手観音を刻んで安置し寺を開いたといわれている。また日本で始めて椿の実から絞った油による灯火の法を開いたといわれ、これが油山の名の起こりになっている。
その後多くの寺院(その数360)が建ち、九州の仏教文化の中心となって栄えたが、戦国時代の兵火で焼失する。江戸時代黒田藩主によって再建されたという。その後のことはわからないが、目の前の本堂は新しい。(ネットで調べると、1964年再建とある)小さなお稲荷様の横を通って、正面の石門から入る。表示板には「新羅式石門」と書かれ、「一人の修行僧が精魂こめて造ったもので、本来三層の屋根が二層になっているのは、建造中力尽きその結果の作といわれています」と書かれている。建立されたのは明治23年というから比較的新しいものであるが、大人一人が通る石門には苔や蔦が絡み、これこそ寺が創建された奈良時代に造られた門のように思える。
本堂の扉は開かれ、何人か蝋燭を燃やしたり線香を焚いているので、同じようにしてお参りをする。この「観音様」は月に一度ご開帳の日があり、説法があるという。ちょうど今日がご開帳の日らしく、説法の時間に合わせて人が少しづつ集まってくる。

   

 厳かに秘仏開帳初時雨         聖子

開帳の秘仏に集う落葉道        由紀子

観音堂小さし落葉の積む奥に      光子

少しだけ厨子開かれし冬の寺      節子

時折晴れ間も見えていたが、急に雨がパラパラと降ってくる。節子さんがすぐに車から傘を持って来てくれる。傘をさしながら、十六羅漢の配置されている庭を歩く。雨の中の羅漢の赤い布が際立つ。石段を下りこじんまりした庭を回る。よく見ると石楠花の花が二つ三つと咲いている。

ただ過ぎてゆく日の中に帰り花     節子

帰り咲く石楠花紅の色濃くて      聖子

時雨来る十六羅漢赤き布        由紀子

時雨るるや山の羅漢の赤き布      光子

脇に鳥居があり、鳥居の前で一人の女性がお参りしている。「海神社」と書かれている。石段を登ってお参りしようとすると、「女人禁制!」という。現在はあまり厳しくはないので、登ってもいいというが、祝詞をあげながらお参りしている人に背を向けて登っていくのも憚られるので一礼のみで済ます。

時雨せし跡海神の山社         聖子

落葉道これより女人禁制と       節子

時雨つつわだつみ神社禰宜祝詞     光子

観音に瀬音やさしく冬木立       由紀子

    

庭を一回りして、また石門に戻る。蔦が紅葉して美しい。石門を抜けるとヒノキの大木に覆われた径が下へと続き、側には川が流れている。ヒノキの幹にも苔が青々と生え、まるで聖域のような雰囲気だ。楓紅葉は本来の色よりまだ鮮やかさはないものの、その下を流れる川を覆い、紅葉を落としていく。快晴でも木漏れ日ほどの日差しの径に、先ほどまで降っていた雨に濡れて石や木の幹の苔がさらに色濃くなっている。感嘆の声をあげながら坂道をおりていくと、萱ぶきの山門がある。石門から山門まで、距離にすれば70ー80メートルくらいの参道だが、「洗心の森」(住職言)の趣だ。山門の入口に「自刃の碑」の表示板と矢印がある。時雨後の山に「自刃の碑」をみるのは寂しすぎる。
そろそろ説法の始まる時間になるが、昼食の予約の時間があるので山門を後にする。

参道の苔のみどりや時雨後       光子

時雨るるや自刃の碑ある登り口     由紀子

車で少しいくと、フレンチレストラン「MORI」がある。ここもまた市街一望の場所で、夜景の美しいレストランとしてよく知られたお店だ。ガーデンウエディングもできるようで、芝生に白い椅子が置かれている。入口の花梨の木が実をたくさんつけ、その奥には山茶花の白い花がぽつぽつと咲いている。蕾はびっくりするくらいたくさんついている。店の中は全面総ガラス張りで外の景色がよく見える。市街や博多湾を見ながらのフランス料理のランチは女性客に人気のようで、次第にお店は満席になる。

 

時雨たる後の島影篇平に        聖子

山茶花の蕾の数のただならず      聖子

前菜の皿に紅葉の一枝を        由紀子

昼食後、春日市の「サンマルク」で句会予定。景色にも食事にも満足しながら車に乗り込む。福岡市南区の道を聖子さんナビで確認しながら、大野城や春日に抜ける道へと戻る。このあたりは大宰府が近くにあるので、どこを走っても歴史的なものがありそうだ。

間違ってをらぬこの径柿たわわ     節子

「サンマルク」に着いた頃にまた雲行きがあやしくなり、雨が少し落ちてくる。小走りにお店の中に入ると、広い店内には句会を邪魔されず、また邪魔せぬ程の客がいる。窓際の席にすわり、広い春日公園の黄葉した並木をみながら句作、句会をする。今月の兼題「時雨」「落葉」にぴったりの吟行となったことに感謝!!

ここからすぐ近くに聖子さんのご自宅があるらしいが、快速の停まる大野城駅まで一緒に見送ってくれる。解散。