<2006年1月号>


第18回吟行記 H17年12月8日

参加者 聖子 節子 由紀子

天拝山・二日市温泉 (筑紫野市 )

この一年、月一回の吟行句会を休むことなく続け、十句の出句が当たり前になった「あしや句会」の締めくくりの吟行は、学問の神道真公ゆかりの「天拝山」と虚子三代句碑の宿で有名な「玉泉館」。温泉に入ってゆっくり吟行を楽しんだ一年を振り返る予定だ。12月に入って近年になく寒い日が続き、この日も冬雲のおおう空の下、大野城駅に降り立つ。駅前の木々はすっかり葉を落とし、工事の音が駅構内の放送と混ざり合う。笑顔の節子さん、聖子さんの車に迎えられ、そのまま筑紫野市二日市温泉・天拝山へと向かう。大野城市・太宰府市・筑紫野市の三市が隣り合うこの辺りは、古く万葉の時代から開けた所で史跡巡りに事欠かない。大宰府政庁跡(都府楼)の南西側に位置する天拝山(257m)は、反逆罪で流された道真公が無実を訴えるために上った山。その麓に建つ武蔵寺(ぶぞうじ)にまず立ち寄る。

山寺は残る紅葉のある辺り     節子

現在、正式には天台宗椿花山武蔵寺(ちんかざんぶぞうじ)と言う。創建は定かではないが、奈良時代の豪族で二日市温泉を発見した藤原登羅麿(とらまろ)が建てたとされ、御本尊は椿樹の一木彫りの薬師如来像。九州最古の寺である。木々に囲まれた寺は決して大きくはないが、風格を備えたたたずまいだ。檜や楓の木を見上げながら山門から境内に入ると、橋のかかった小さな池がある。池の隅には庵があり、そばに青鷺が一羽置物のように立っている。

鷺一羽動かざる池末枯るる     由紀子

冬池の青鷺突如飛び立てり     聖子

本殿へと奥に進むと、みごとな藤棚があり、その下に藤の落葉がふかふかに積もっている。「長者の藤」と名付けられたこの藤の木は、筑紫野市の天然記念物に指定されている。藤原登羅麿が自分の姓にちなみ「塔堂の盛衰は、この藤の盛衰にあらん」と誓って植えたと伝えられている。樹齢1300年の藤は毎年きれいな花を咲かせ、武蔵寺は「花の寺」として有名になっている。本殿に線香と蝋燭をお供えしお参りする。大きな念珠が下がり、ゆっくりとまわす。

ゆっくりと大念珠引く冬の寺    節子

  

本殿脇の羅漢を通り過ぎ、降り積む落葉の石段を上りつめると古い鳥居がある。鳥居をくぐると小さな社があり、その前を初老の男が一人落葉を箒で掻き集めている。山の落葉は集めても集めてもあるらしく、落葉の山がいくつもできている。社の説明書きには「御自作天満宮」(ごじさくてんまんぐう)とある。石段を下りていくと注連縄が張られた岩がある。奥に2−3メートル程の滝があり、「紫藤(しとう)の瀧」「衣掛岩」の案内板。皆道真公ゆかりの場所だ。

石畳さらに埋めて散落葉      節子

堆く集む落葉にまた散りて     由紀子

道真公が大宰府に左遷されたのは901年。「遠の朝廷」と呼ばれ「筑紫歌壇」の栄えた大友旅人らの時代から百年過ぎた大宰府は、都人の道真公には耐えがたき場所。悲運の中に生涯を終えるが、無実を天に訴えるために向かったのが武蔵寺であり天拝山である。百余日間境内の「紫藤の瀧」に打たれて身を清め、山頂に登って七日七夜岩の上に爪立って祈り続けたところ、天から「天満在自在天神」と書かれた尊号を受け取り、ようやく願いが成就されたという。天を仰ぎ、天の神に祈っている姿は13世紀の「北野天神縁起絵巻」が伝えている。「御自作天満宮」は、道真公が武蔵寺に参詣された時、自分の像を刻んで納めたと伝えられ、それがご神体になっている。山の木々に囲まれた小さなこの天満宮は、「天神さま」と親しまれて多くの人が参拝する太宰府天満宮とは全く趣きを異として、ただ落葉がはらはらと散る中にひっそりと建っている。

  

栄えたる筑紫歌壇や落葉径     由紀子

「紫藤の瀧」のそばから始まる天拝山への上り径は、「天神さまの径」と名付けられ、頂上までの道しるべとして11箇所に道真公の詠まれた歌碑が建てられている。起点の歌碑には「東風吹かば匂いおこせよ梅の花・・・」が刻まれている。今回この径は登らず、なだらかな坂道を登って「万葉植物園」へと向かう。草木53種、木本64種が植えられているそうで、それぞれの草木には万葉名の名札がつけられている。また花にちなんだ万葉歌が添えられているものもある。枯れたものが多い冬の植物園だが冬は冬の趣きで散策を楽しむ。

柿ノ木と名札を付けて実のたわわ  聖子

植物園を一回りして池のほとりへと下りてくる。万葉植物園を含めて、このあたりは「天拝山歴史自然公園」として平成六年に整備されている。十年ほど前に建った新しい建物ではあるが、目の前の水上ステージや藤原登羅麿像のモニュメントは、古く歴史のある天拝山麓ならではの重みを感じさせる。大きな水上ステージでは、観月会など催されているという。広々とした公園から見る月はさぞ美しいだろう。天拝山の自然にどっぶり浸りながらの吟行中、よく見かけるのが猫。猫も自然にどっぷりなのか、目の前を悠然と歩いていく。

照りかげるさざなみに浮き冬紅葉  由紀子

猫ばかり丸々太る冬の寺      聖子

昼食と温泉は「玉泉館」。同じ二日市温泉の宿「大丸別荘」ほどの大きさや庭の広さはないが「虚子三代の句碑の宿」ということで、一度はいってみたいと思っていた宿だ。天拝山から車ですぐのところで温泉街の中にある。
 

<宿のパンフレットより>

更衣したる筑紫の旅の宿     高濱虚子

虚子の句日記  昭和30年5月14日 飛行機 板付着  福岡県二日市温泉 玉泉館。昭和60年7月「万燈」主宰江口竹亭氏により高濱年尾 稲畑汀子両先生の句碑を建立。滋に「ホトトギス」御父子三代「宿」の句碑が相並び小館の誇りであります

虚子の句碑は、玄関横の松と竹を配した中に小さくある。御影石二本の句碑は、「句碑の宿」と知らなければ通り過ぎてしまいそうだ。宿の中はほの暗く、広い土間には手焙りが用意され、下駄がきれいに並べられている。坪庭には苔生す石と楓の木、中庭には松や梅の古木が配されている。中庭のほぼ中央に大きな句碑が建ち、二句並んで書かれている。

  

《温泉の宿の朝日の軒に照紅葉  年尾》

《梅の宿偲ぶ心のある限り    汀子》

惜しいことに、この宿に実際泊まって作った句なのかどうか聞かなかった。宿の廊下には色紙に書かれた年尾句が額に入って飾られている。広い部屋からは日本庭園を楽しむことができ、懐石料理も美味しい。満足したところで温泉へ。「男湯と女湯の入口は違いますが、中でつながっています。今男性は誰もいないから気にしないで下さい。」と仲居さんが言う。女湯から入ると湯気の向こうに先ほどの庭園が広がっていて、お湯は肌にしっとりして気持ちがいい。ちょっとした間仕切りがあり、確かに男湯とつながっている。女湯と男湯の割合が3対7ぐらい。女湯に三人入ればいっぱいになる広さだから男湯に回る。目にも肌にも贅沢な気分にさせてくれるお風呂だが、泊まり客は混浴にしては狭い湯船にゆっくりできるのだろうかと、軽い心配を覚えながらお湯をでる。

冬の宿虚子三代の句碑の庭   節子

 チェックアウトの時間がきたので「玉泉館」をあとにする。車でしばらく走り「ロイヤルホスト」にて句会。あの山が四王寺山、向こうの山が宝満山。自然と歴史にあふれる筑紫路に住む節子さん、聖子さんの環境の良さを再確認した一日となる。遅くまで付き合ってくれてありがとう。今回光子さんは、弔事のため急遽欠席となる。また吟行しましょう。とても良い吟行地です。