<2005年3月号>


第8回  平成17年2月10日(木)

参加者  節子 聖子 光子 由紀子

  太宰府天満宮   

曇っているが昨夜の大雨は上がり、傘をささずに吟行ができそうだ。今月は太宰府天満宮の梅を見る予定。

8時34分の快速で折尾駅から光子さんと大野城へ向かうが、お互いこの時間に電車に乗ることが少ないので、あたふたと折尾駅まできて、あわてて電車に乗り込む。聖子さん、節子さんに北九州方面に来てもらうことが多いが、あらためて有難いと思う。

大野城駅では、私たちが迷わないようにと改札口近くで待っており、すぐ車で太宰府天満宮へと向かう。近くの駐車場に止めて、歩いていく。お土産屋の並ぶ参道からではなく、境内の裏手からだ。天満宮近くの民家は、自宅の駐車場を有料にしているところも多く、さすがに天神様のお膝元だと感心するが、観光地の近くはこうなのかもしれないと一人納得しながら、境内へと入っていく。

すぐに梅林がひろがっている。このところの寒さもあって、全体的には1−3分咲きというところ。梅は桜と違って、満開より咲き始めのほうが風情がある。特に今日のような雨上がりは、開こうとしている紅梅や白梅の蕾に雨雫が残り、芽吹きの春の到来をより感じさせる。しっとりと濡れた梅林を歩く。

境内の奥まったところに、一本浮き上がるように白梅がほころび始めている。うすみどりの蕾は、雫の中に透き通るようにある。

白梅になおとどまりし雨しずく   光子

点々と梅の蕾と雨の粒       節子

雨上がる梅の社に遊びけり     由紀子

一しずく雨を含むや紅の梅     聖子

境内に名物の梅が枝餅の店が何軒かある。香ばしい匂いと元気な掛け声。まずは腹ごしらえと、お店に入ることにする。

   

先ほどの白梅より奥まったところにある「お石茶屋」がお勧めということで、迷わずそこに決める。広い土間に椅子掛けのテーブルが置かれ、コの字形に畳。昔の茶屋そのままだ。梅が枝餅の皮が、ぱりっとして美味しい。たしかに「おいしい茶屋」である。聞けば筑前三大美人の一人と言われた「おイシさんの茶屋」ということで、看板娘の彼女を一目見ようと大勢の人が集まったという。数多くの政治家や文化人も度々立ち寄ったというから、美貌のみならず、その人柄もよかったのであろう。

店の入り口近くに、歌碑と句碑が並んである。

太宰府のお石の茶屋に餅食えば旅の愁ひもいつか忘れむ  <吉井 勇>
紅梅に彳(た)ちて美し人の老         <富安 風生>

風生の「街の雨鶯餅がもう出たか」(昭12)を思いだし、風生もまたこの店で、あつあつの梅が枝餅を頬張ったのであろうと思うと、一段と味わい深くなる。

焼餅の香に包まれて梅開く      節子

太宰府天満宮には6000本の梅の木があるという。その梅の蕾の下を通って本殿まで来る。本殿の中では、祈願を受けている人が頭を垂れて座っている。それぞれにお参りをして、本殿右側のご神木「飛梅」を観賞する。左側の紅梅は2−3分咲き。他の梅より先駆けて咲くという「飛梅」は満開で、その前で写真を写す人が次から次に入れ替わる。

    

東風ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ  <菅原道真>

この歌碑は境内の入り口にある。901年早春、無実の罪で京を追われた道真公の惜別の歌。一夜のうちに飛来したといわれる「飛梅」。道真公は左遷されてから2年、苦悩の末に生涯を終えるが、1100余年経った境内は、「飛梅」と学問の神様として祀られている彼にお願いする絵馬札がぎっしり掛けられている。

本殿より楼門へと出る。左右に銅牛の像が座っている。銅牛や石牛の像は他にも見かけられるが、うし年生まれの道真公が亡くなられた後、彼の遺骸を乗せた牛車が北東(うしとら)の方向に進み、その牛車が止まり動かなくなった所に葬られたことによる。

   

また牛が当時の農耕生活のシンボル的存在だったことも大きく関係しているようだ。悲惨な死をとげた彼に対する同情と悼みの思いが人々の心に深まり、その後に起きるすざましい天変地異や要人の死、疫病の流行などは、彼の怨霊によるものだとされる。怨霊と天神信仰と農耕生活が結びつき、何とか怒りを鎮めようと、小さな祠だった道真公の墓所は、次第に大きな建物となり祭られるようになる。太宰府天満宮の始まりである。その後兵火等により数度炎上しているが、1591年の筑前国主小早川隆景が造営したのが、現在の本殿である。今でも本殿の真下には道真公の柩が鎮まっているのだという。牛も神牛として境内に座り、今では祈念を込めて撫で擦れば、病気全快すると信じられている。神牛の頭部を擦れば知恵がつくというので、何度も擦ってみる。

この先に絵馬堂があるというので行ってみる。よく見えないほど古い絵馬が四方に飾られている。

境内に古き絵馬堂梅三分      光子

 中世に和歌より気楽に楽しめる連歌というものが流行し、和歌の神として崇められていた道真公が、連歌の神としても尊ばれる。北野天満宮をはじめ、各地の天満宮で連歌の会が開かれ、連歌をささげて神の心をなぐさめようと、その作品を大きな額に書いて奉納することがしきりに行われたという。この絵馬堂は1813年に建立され、九州に現存する単体の絵馬堂としては最大最古のものらしいが、同じような連歌絵馬かどうかわからない。だが、天神様は時代を越えて、奉納された絵馬を心なごやかに見ておられるであろうし、今の世の切実な願いを書いた絵馬札にも心くばっておられるのではなかろうか。

「心字池」にかかる御神橋を渡る。「心字池」は<天満宮は大きな「心」に包まれている>ということで名づけられ、御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋からなり、仏教思想にいう過去・現在・未来の三世一念を表現していると伝えられる。この橋を渡ると心身共に清められるという。

 

今回は境内の裏手から入り、普通の参拝とは順路が逆だが、以前訪れた時とは違ったものを感じることができたと思う。「俳句の目」を通しての天満宮だからかもしれないが・・・大鳥居をくぐり表参道へと出る。振り返って天満宮を眺める。千年を経た信仰の中で、恐ろしい神はすっかり浄化され、寺子屋の普及とともに庶民にも親しまれる天神様となる。訪れる人々の穏やかな顔。歴史の重みを感じる。

参道からすぐ右手に「光明禅寺」に行く道があるが、その道沿いの「水月庵」で昼食をとる。こじんまりとした和風のお店。玄関には蝋梅と白椿、太宰府の神事「うそ替え」の絵が飾られている。通された小部屋からは庭がみえる。鶏と野菜の「山家鍋定食」を注文する。あつあつの鍋に温まり、フキノトウの天ぷらに舌鼓をうつ。

筑紫野の空晴れゆきてふきのとう   由紀子

ふきのとう口いっぱいに春がくる   聖子

早春のやわらかな日差しのさす庭をながめての句会。甘酒でしめくくる。よき一日でした。多くの文人が訪れ詠った筑紫野は、やはり魅力ある所だ。若葉、紅葉の時期の再訪を楽しみにしている。

(参考)・・・「大宰府」と「太宰府」の違いについて
「大宰府」は大君の詔で働く役所の意味で、現在では、史跡や当時の役所を意味する時は「大」を使い、太宰府市や太宰府天満宮などの固有名詞の時は「太」を使う。