<2005年6月号>
第11回 吟行記 5月12日(木)
参加者:嘉 徳子 礼子 キミ子 聖子 節子 光子 真理子 由紀子
若戸大橋周辺・若松北海岸(千畳敷) (畳)
今回の吟行は、次郎丸句会の方々との合同句会となる。はじめてお迎えするとあって、いつもより準備に気合がはいる。場所選定はおまかせするという。北九州の見どころはいろいろあるが、若戸大橋周辺と風光明媚な若松北海岸が、我が町「若松」を代表する所なので、ここを案内することにする。
当日折尾駅を集合場所として若松駅へと向かう。折尾駅でJR筑豊線に乗り換えだが、乗り換え時間が五分しかない。出来るだけ先頭車両に乗るようにお願いをし、プラットホームで待っている光子、由紀子がすぐ階段をおりて筑豊本線の一番ホームへと誘導する。電車はすでにホームに入っているが、乗客はほとんどいない。折尾駅の構内はちょっとした迷路。大正五年建設のレトロな駅は、小さいながら筑豊線と鹿児島本線が立体交差しているので、各ホームへの連絡路が慣れない人にはわかりづらい。日本初の立体交差駅らしい。
若松駅まで20分の二両の電車の中で、挨拶をかわしながら沿線の風景やおしゃべりを楽しむ。通勤、通学の時間帯には混む電車も、この時間乗り降りする人はごく僅かだ。終着の若松駅の改札口をでてから、本日のスケジュールを確認する。1時間の予定で若戸大橋周辺を散策。駅のすぐ目の前に広がる若松港は、洞海湾を渡す若戸大橋の下に静かに漁船や巡視船を繋がせている。若戸大橋開通時以来の再訪となった徳子さんは、懐かしげに大橋をながめ、今は車専用で人道がなくなっていることに驚く。薄曇りの中、皿倉山はかすかにしか見えないが、湾に沿って楠の木や花水木の若葉が美しく風に揺れている。
駅前の楠に集合若葉かげ 節子
石炭の町へ二両の夏電車 光子
夏霞む皿倉山も煙突も 次郎丸
駅より湾に向かって広場があり、奥に機関車が据えられている。「石炭操車場跡」の案内板。石炭輸送で栄えた名残りである。私たちが折尾駅から乗り込んだこの鉄道は、かって石炭が大量に運ばれていた。
若松の繁栄も衰退も石炭抜きでは語れない。明治20年代まで好漁場であった洞海湾は、鉄道敷設や軍需のための鉄鋼需要の増大により、日本最初の官営製鐵所ができてから激変する。もともと筑豊の石炭は、福岡・小倉の旧藩時代から藩の統制下におかれ、財政に寄与する物資として米などとともに遠賀川を下り、運河(堀川)や江川を通って洞海湾の若松へと運ばれていた。明治になって石炭の自由採掘・販売が認められると、採掘は機械化が進み、地元の貝島、帆足、麻生、安川などの炭鉱主のみならず、三菱、住友、古河、三井などの財閥や大資本が進出し、石炭の増産体制が整備されていく。増産された石炭は、江戸時代に遠賀川の洪水・灌漑対策や物資の輸送のため造られた堀川運河で若松に運ばれる。
その石炭輸送も1891年(明治24)鉄道開通により容易になる。そして製鐵所の建設。鉄道と遠賀川の五平太船で運ぶ石炭の輸送にかかわる沖仲仕「ごんぞう」の活躍した時代である。定住する農耕型の文化と対照的な川筋気質と呼ばれる気風は、炭鉱夫や五平太船の船頭から出たものであるが、「ごうぞう」たちにも共通している。彼らは親分の名を冠した労働・生活一体型の組織をつくり、一種義兄弟的な社会を形成する。若松はそんな彼らが一時代を作り上げた町でもある。
火野葦平が「すべてのものの底から、沸きあがって来る力動的な騒音・・・ここの海は生きている」と表現した洞海湾の風景。
ごんぞうの謂れ港に燕飛ぶ 次郎丸
大橋のわたる薄暑の町の上 光子
錆の色染みて若松夏の潮 真理子
いま目の前に広がる洞海湾は、工場群が立ち並び大型船舶が行き交うも、この石炭輸送が過去のものであるように、一部観光用に港が整備されている。朱色の大橋の下に、旧古河鉱業のビルが市民のサークル活動に利用され、広い駅構内だった敷地は集合住宅が立ち並ぶニュータウンに変わっている。駅前の公園のベンチで、制服姿の女子高生数人があぐらをかいて話している。彼女たちは、この街の繁栄を歴史の教科書でしか知らない。
薫風や繋がれしまヽの保安艇 次郎丸
船具店の日除けテントや夏きたり 聖子
石炭のかっては港葉桜に 由紀子
白き船白き波立て夏の海 節子
若松駅前の道路を挟んである「若松市民会館」には「火野葦平資料館」があり、時間があれば見学の予定だったが、迎えのバスの時間が近づいてきたので割愛する。ここには「ごんぞう」とその時代に生きた人々のドラマが描かれた「花と龍」の映画ポスターが何枚も展示されている。
11時30分 昼食と句会予定の料亭「魚庵千畳敷」の迎えのマイクロバスが駅前で待っている。ここから20分ほどにある若松北海岸へと向かう。途中風力発電所が見えるようにバスを走らせてもらう。バスは若戸大橋の北側に広がる中小工場密集地を抜けていく。響灘を埋め立てた「響灘エコタウン」の近くにある9基の風力機は、ゆっくり大きく回っている。1基は動いていない。「響灘コンテナターミナル」の開港をひかえ護岸工事をしているのが見える。
夏の風風車左に回しいる 真理子
ひびき灘起重機高く夏霞 次郎丸
バスは埋立地のまっすぐ広い道路から、海に沿って畑に囲まれた道に入って行く。あたりの景色が一変する。昔ながらの農業と漁業の若松の顔だ。このあたりの「キャベツ畑」は若松の風物詩でもある。もう少し中に入ると畑がひろがっているのだが。
「魚庵千畳敷」の大看板のある入口がみえてくる。道路から参道のような砂利道にはいり門を抜ける。葉桜と梅の実がたわわになっている径を曲がると、駐車場と木々でおおわれた玄関への径がある。杖らしき木が何本も用意されている。打ち水された大きな石の階段をゆっくり下りていく。竹林が美しい。店先の大きな提灯をみながら中に入る。待合室や土間を抜けて行くと、一面青芝の広い庭。そこから部屋へと案内される。仲居さんが次々に料理を運んでくれる。昼食後1時間の吟行。皆広々とした青芝を下りて千畳敷の海岸へと歩いて行く。海辺には白い船形をしたレストランがあり、眼前に千畳敷の岩がひろがっている・・・はずだったが、今日は干潮時間が遅く千畳敷の岩が見えない。わずかに岩礁があるらしきところに白い波が小さくたっている。
じぐざぐに岩にぶつかる夏の波 聖子
ただ遠く眺むる灘の夏めいて 由紀子
露台より眼前すべて夏の海 次郎丸
灘よりの風は心地よい。夏霞に水平線ははっきりしないが、かすかに船や島々がみえる。
2時より句会。今回は10句ということで不安はあったが、何とか出句する。若松南海岸と北海岸を駆け足吟行となったが、力作が揃う。合同句会ということで、いつもの句評をするに至らなかったが、それぞれに少し緊張感のある句会ができ有意義な時間を過ごすことができたのではないかと思う。マイクロバスにて折尾駅へと向かい解散。次郎丸の方々ありがとうございました。