<2006年2月号>


第19回 平成18年1月12日

参加者 聖子 節子 真理子 光子 由紀子

小倉城・八坂神社 (北九州市・小倉北区)

今年の初句会は、小倉城の横にある「八坂神社」への初詣。
例年になく寒い日々が続いているが、当日は朝から青空が広がり幾分暖かい。西小倉駅から歩いておよそ五分で小倉城に着く。「松本清張記念館」を通り過ぎ、菰の巻かれた松が点在する城内へと入っていく。小倉城周辺は、北九州市庁舎や図書館、博物館などもあり、「勝山公園」として整備され、市民の憩いの場所となっている。松過ぎの城内は人がほとんどいないが、楠の木の下にある横山白虹の句碑や「白洲灯台」の模型をゆっくりみながら城の入口まで歩いて行く。ちょうど防火訓練のための消防車が訓練を終え、帰り仕度をしている。

   

小倉城は、関が原合戦の功労で入国した細川忠興によって1602年築城工事が行われ、7年の歳月をかけて造られる。細川氏の熊本転封の後には、小笠原氏が明石より入国する。「唐造り」と呼ばれる城は、冬晴れの空に向かって高くそびえ、野面積みの石垣は豪快かつ美しく城を支えている。門を出て、北の丸跡にある「八坂神社」へと向かう。城の陰に隠れたようにある神社だが、初詣などには多くの参拝客が訪れるのであろう。この神社は、細川忠興が1617年に小倉の鎮守として鋳物師町に建て、1936年(昭和9年)この地に遷座される。
全国三大祇園に数えられる小倉祇園祭りでは、みごとなバチさばきの祇園太鼓が奉納される。境内は広くはないが、ひっそりとお百度石や数え石が置かれ、句碑や歌碑が建立されている。

風おちてゆふくもなひく街の空 しつかに城はそひえたちたり  仰木 実

<月仰ぐ一途に生きし来し方よ     丸橋 静子

この歌碑や句碑の建立の経緯は知らないが、暮れゆく小倉の都心にそびえる城を見上げながら同じように思い、お百度石を触りながら、幾人の女性が家族の幸せを願ってお百度を踏んだであろうと思いを馳せる。
楼門より出て城濠を渡ると、2003年再開発事業の一環として造られた「リバーウォーク北九州」のユニークな建物が、そびえている。曲線や円形を多用したデザインは、福岡の「キャナルシティー」と同じイタリアのデザイナーによるものだ。日本古来の城の横に、全く異質の建物が建つことには賛否両論があったが、見慣れてくると違和感は薄れ、北九州の新しい顔になっている。横を流れる紫川の対岸にある「聘珍楼(へいちんろう)」にて昼食。護岸工事によって以前のドブ川から噴水の上がる市民の楽しめる川へと変わった紫川。そこに架かる「鴎外橋」を渡って、また小倉城へと吟行に行く。

   

紫川には多くの橋が架けられているが、「鴎外橋」は歩行者専用橋で、中央には「鴎」という名前で、澄んだ青空に向かって白い鳥を追う少年の彫刻が設置されている。(少女の像と思っていたが・・・)橋を渡りきった所に、明治32年陸軍の軍医部長として小倉に赴任してきた鴎外の作家としての偉業を讃えた「森鴎外の碑」が生誕百年を記念して建てられている。小倉を舞台にした小説「独身」「鶏」や小倉在任中に書かれた日記「小倉日記」からの引用文が刻まれている。

夜はイルミネーションで輝く川の辺には、対岸のデパートや商店街に行く人や、公園を散策する人、鴎などの鳥に餌をやりながら日向ぼこをしている老人などがベンチに座っている。「小倉城庭園」や城内で句作する。句会は同じ城内の北九州市庁舎15階にあるレストランにて行う。レストランの窓からは小倉の街が一望できる。

ビル街の中に冬日の小倉城    聖子

楠の実のひと粒づつにある冬日  真理子

境内をぬければ冬日中の城    節子

水底の藻の浮かび来し冬の晴れ  光子

冬晴れや鴎外橋に鴎群れ     由紀子