吟行記

平成18年11月号


第27回 平成18年10月12日(木)

参加者 聖子 節子 光子 真理子 由紀子

中津城・福沢諭吉旧居(大分県中津市)

「若く明るい歌声に・・・」と歌いたくなる場所を、人は心のどこかに持っていないだろうか?中津城の天守閣から中津市の町並みや城の横を流れる山国川を見下ろした時、この曲のイントロが不意に浮かんできた。中津は高校の3年間汽車通学で通った所。受験勉強を強いられた3年間だったので、楽しいことばかりではないが、青春の良き思い出として心の隅に残っている。現在も実姉が住んでいることもあり、時々立ち寄ることもある中津市は小さいながら城下町で、観光地としても見所のある場所なので、吟行地として「いつか行かない?」と提案していた。散策するのに良い季節ということで今回実現。

10月12日特急「ソニック」にて中津へ。博多からは1時間20分。高架された駅ではあるが、まだ自動改札ではなく女性駅員一人が切符を受け取る。駅前には散策用の自転車(観光協会所有)が無料で貸し出されているので、これを利用するのも一案だと思ったが、メンバーの「いまだ自転車に乗ったことがない!」の一言にすごすごと案を取り下げる。タクシーに乗り中津城へ行く。扇城(せんじょう)とも呼ばれる中津城は、山国川が周防灘に注ぐ河口近くに扇状に築かれた城で、海水が水門より入り潮の干満によって内堀の水が増減する日本三大水城(他に高松城・今治城)の一つという。久しぶりに句友と城の中に入る。

  

中津城は、黒田官兵衛孝高(如水)が豊臣秀吉の命により九州を平定し豊前16万石を拝領して1588年築城。その後嫡子黒田長政の関が原合戦の軍功により黒田父子が筑前52万石の太守となったため、替わりに丹後田辺より細川忠興が入城。城の大修築を行い河口に向かって扇状に拡張する。戦国の名将二人によって築かれた城だが、忠興は領国支配に不便ということで小倉城を築城。1632年には肥後熊本へと移る。その後小笠原氏、奥平氏と続き、10万石の奥平氏9代(155年間)の居城として明治維新を迎える。

廃藩置県で横を流れる山国川は福岡県と大分県を分ける川となったが、天守閣からの眺めはこじんまりとした町並みと穏やかな田園と広々とした周防灘。雲ひとつない空に水鳥の鳴き交わす声がひびく。色づきはじめた桜の木々や城の石垣や堀を見下ろしながら、一見文学少女風だが、作文を書くことが最も嫌いだった高校時代を思いだす。母校はこの山国川に沿ったところにある。

水城に流れ入りをり秋の潮       節子

水鳥の鳴き交わす濠城の秋     由紀子

公園として整備された城内は、「中津神社」「城井神社」「扇城神社」「奥平神社」など神社が多くあり、城の手前には福沢諭吉の「独立自尊」の大きな碑が建っている。大鳥居を出た所に「蓬莱観」という市民庭園がある。鄙びた入口から入っていく。ここは明治時代京都の南座と全く同じ造りの劇場があり、名だたる歌舞伎役者が舞台を踏み、水谷八重子、長谷川一夫なども来演するなど戦前まで賑わったところだが、戦時中強制疎開により解体。跡地は現在庭園として市が管理している。建物の中はギャラリー喫茶で、高校時代の友人の書が飾られている。

    

12時になったので、予約をいれている「筑紫亭」へと向かう。明治34年創業の老舗料亭の建物は登録有形文化財になっている。玄関脇の苔生した小庭の山頭火句碑を見ながら案内を待つ。通された部屋にも句碑と同じ山頭火の句の掛け軸が掛けられている。昭和5年ここで催された句会で山頭火がはじめて河豚を食べ詠んだ句という。

是が河豚かとたべてゐる     山頭火

料理は昼御膳で特に名物の鱧(要予約)を注文したわけではないが、この日は他に鱧の予約が入っていたのだろう。鱧のお造り。伊勢海老のお造りにも似た味で、小骨を全く感じさせない。京都の鱧料理が有名だが、山国川の肥沃な水が流れ込む中津(豊前海)の鱧が、昔から発達していた海運により二日で京都に運ばれ食されていたという。以前より鱧は食べていたが、ここの鱧は確かに美味しい。食事の終わる頃、筑紫亭の女将が部屋に挨拶をと入ってこられた。65才は過ぎていると聞いていたが、着物のよく似合う女将の白い手は年を感じさせない。昼御膳に女将の挨拶など有難いと、こちらも正座をして聞いていたが、鱧の話に始まり、筑紫亭の盛衰の苦労話から何とかの賞を頂いた話など次から次とよどみなく話される。一時間ばかり聞いていたのではないだろうか。挨拶というより細腕繁盛記の講演会のようで、それなりに面白かったが、筑紫亭を出たときにはぐったりと疲れてしまった。少し残念だったのが、文化財にもなっている亭内を見学させていただけなかったこと。昼御膳の客だから仕方がないが・・・

  

料亭の裏の小窓や秋簾      聖子

筑紫亭をでるとすぐに寺町に入る。地名どおり沢山のお寺。その中でひと際目立つお寺がある。地元で「赤壁」というだけでわかる合元寺だ。黒田孝高(如水)がこの地を平定する時抵抗した豊前の豪族宇都宮氏の家臣達を討ち死にさせた寺で、その返り血が幾度塗り替えても浮き出てくるので白壁を赤く塗ったという。戦国時代の血生臭い話だが、今は観光のルートになっている。境内に入ると「お願い地蔵」の前にたくさんの絵馬が掛けられている。

豊前路の寺は静かに柿の秋   光子

赤壁の寺のいわれも花芒    真理子

大屋根の続く寺町を抜けて「福沢諭吉の旧居」に着くと、ちょうど20年に一度という藁葺き屋根の葺き替え中。五・六人の男たちが黙々と作業をしている。旧居や横の記念館(一万円札の一号券がある)の見学は割愛して、横の柿渋の匂う和傘工房へ行く。耶馬溪の竹を利用した和傘作りは下級武士の内職として盛んだったが、現在ここ一軒のみ伝統を守り続けている。

  

藁替えの屋根に秋晴黙々と        節子

この路地を曲がれば旧居柿熟るる  由紀子

句会場は姉のギャラリー。古民家を改装して一階は創作料理のお店、二階は目下貸しギャラリーとなっている。急な階段を上ると薄暗い畳敷きの広い部屋とフローリングの小部屋。草木染めの作品や絵画、皮工芸品が回りに置かれ、真ん中に広いテーブル。10句なんとか出句したものの中津や青春時代への思いが強すぎたのか、はたまた筑紫亭の女将に気を吸い取られたのか疲れ気味。皆もそのようだ。「あしや句会」はゆっくり・のんびり・楽しくをモットーにしたい。中津駅から特急に乗り解散。