<2006年5月号>


第22回 平成18年4月13日

参加者 聖子 節子 光子 由紀子

吉祥寺・木屋瀬(北九州市八幡西区)

三月の句会後、いつも吟行句会は第三木曜日または第二木曜日なので「お花見」ができないという話になった。こういう話には反応のよい「あしや句会」のメンバーはすぐに実行。全員三月末締め切りの句集原稿を書き終えて、3月31日、与丁(かよいちょう)公園に集合。桜はまだ5−7分ではあったが、天気に恵まれ、無人駅から畑や田んぼの中を歩いていく道すがらの風景といい、芽吹く木々や広々とした池の周りの風景は予想以上のものだった。桜の木の下で花見酒を飲みながらひと時を過ごす。「俳句を続けていてよかった」と思うのはこういう時だ。鴨の池のほとりでの句会は5句出し。見上げる空は青く、気持ちのよい桜の風の吟行句会となる。

  
与丁(かよいちょう)公園

4月の第二木曜日、定例句会を北九州で行う。桜の後は「藤」ということで、藤寺で有名な「吉祥寺」を吟行することにする。「吉祥寺町」に住む光子さんの邸宅は、寺まで徒歩一分。家の前を参拝する人たちが行き交う。寺を散策する前に、築9年の光子邸の庭を散策。建設時チューリップなど3000個の球根を植え込んだそうだが、その名残の球根は今だに花を咲かせ、趣向を凝らした庭は、せせらぎの音を聞きながら多くの庭木や花を楽しむことができる。光子さんと大江健三郎似のご主人の案内で、しばらく見学させていただく。もうここだけで満足の吟行だったが、昼食の時間でもあり、吉祥寺を参拝する前に、車で10分ぐらいの北九州の観光地にもなっている旧長崎街道の宿場町・木屋瀬へと向かう。

  
久保さん宅の春爛漫

創作料理の「沙羅の木」木屋瀬店にて昼食。その後遠賀川沿いにある「長崎街道木屋瀬宿記念館」の駐車場に車を止め、保存された宿場町の町並みを歩く。白壁や木枠の窓が当時の面影を残し、それを大切に残そうとしている人達の思いが伝わってくる。芝居小屋を模した「こやのせ座」から「船庄屋跡」の梅本家、旧高崎家、須賀神社、本陣跡などを回る。長崎街道の宿場町として栄えた木屋瀬は、遠賀川中流の中心地で、江戸時代は五平太船(川ひらた)を使った年貢米の集積場であったらしい。年貢米の輸送は、権利を持った川ひらたに限られ、それらを束ねるのが船庄屋。その船庄屋跡を訪れると、広い土間が奥まで続く江戸時代の商家の造りになっている。玄関(入口)が広々と開いていて、中をのぞくと奥の一部屋に灯りが灯っている。屋内は11月の「宿場まつり」の時のみ公開されるようで、日頃は外からだけの見学ということらしい。

  
木屋瀬の町並み

木屋瀬では、この「船庄屋」梅本家のように「宿場まつり」のみ公開という家が何軒かあり、実際その家で人が生活をしている。梅本家の少し先に一段と大きな白壁の家が見える。この建物は北九州指定有形文化財になっている旧高崎家。建物の中に入ると、ボランティアの人が案内、説明してくれる。江戸後期の宿場町の商家建物として、また放送作家の伊馬春部(いまはるべ)の生家として常時一般公開されている。工夫された吹き抜け窓、吊り上げ板戸、雨戸の説明を聞きながら、伊馬春部の「向こう三軒両隣」「本日は晴天なり」などの台本や資料などを見る。「記念館」でもらった木屋瀬の案内図を手にしばらく町を歩く。一巡りして遠賀川沿いの駐車場までくる。川に沿った道の真ん中に大銀杏がそびえている。この付近に船着場があったらしい。船頭たちは、この大銀杏を目印に集まっていたのだろう。

木屋瀬を後にして、また光子邸まで戻り「吉祥寺」へと歩いて行く。
まだ「貝寄風会」の名前も付いていない第3回の吟行地が「吉祥寺」だった。(第4回から「貝寄風会」と名付けられる)手元に当時の御選句が残っている。

香を放ち藤の花房風に揺れ

藤の花ゆれればクモの巣もゆれて

藤の風香りたる後房ゆれて  

あれから20年近くが経とうとしているが、吉祥寺の藤は多くの人たちによって守られ、毎年美しい花を咲かせている。変わったといえば、お寺の裏山一帯が公園として整備され、広い藤棚が公園内に作られている。三重の塔の展望台や竹林、紅葉の広場、紫陽花の径などもあり、藤の季節だけではなく楽しめるようになっている。この日は、まだまだ藤棚の藤は小さな房から紫色が見えている状態で、盛りには1−2メートルも房が揺れる藤になるとは想像出来ないほどだ。

  
吉祥寺の藤

後日(27日)「藤まつり」の日に再訪すると、境内を埋め尽くす藤はちょうど見頃で、境内の句碑「藤棚の下の浄土のこみあへり」(横山 白虹)そのものだった。光子邸にて5句の句会。また庭を見せてくださいね。 解散。

 一本の桜に宴始まりし       節子

集いては又別れ行く春の暮れ   聖子

草萌えて旧街道の船庄屋     由紀子

紫にほどけはじめし藤の房     光子

築九年蝶のよく来る庭となり    光子

  
見頃の藤と「白虹」句碑