<2006年8月号>


番外編 平成18年7月15日(土)

博多祇園山笠(追い山)   (祇園紋)

去年の山笠吟行の後、節子さんから渡された一枚のCD「博多っ子純情」。チューリップの姫野達也の少し高い声のこの歌は、何故か遠い昔を思い出させ、博多はいいよと思わせる。

いつか君行くといいよ 博多には 夢がある

できるなら夏がいい 祭りは山笠

男達はとても見栄っ張りで気が強い

海の風に吹かれるから

だけどみんなすぐに貰い泣きするよな奴

酒を飲んで肩をたたく

4年間の学生生活を博多で送ったとはいえ、当時この歌を聞いてこれほど惹かれたかどうかわからない。30年という年月が過ぎ、子供達が同じように博多で過ごし、再び博多との係わりが多くなる中で、俳句吟行で初めて見た山笠のフィナーレ「追い山」。締め込み、法被姿の男衆の流れ昇きの勇壮な集団は男の粋を見せつける。「祭りは山笠」の歌詞に肯き、胸に響く。

今年の追い山は土曜日早朝。まだ追い山を見たことのない主人は、目下博多の大濠寮に単身赴任中。追い山見物を夫婦でするには曜日としては絶好の年である。これを逃してはならずと決行。余分な布団がないので、寮に近いビジネスホテルを取り、午前3時半にホテル前で待ち合わせ。タクシーで追い山会場まで行く。すでに交通規制が敷かれ、降ろされた場所は冷泉公園前。

  

午前4時前の公園には大勢の人が集まり、道路には各昇き山が櫛田神社の方向へ並んでいる。スタート地点(山留め)に八基の山笠が順番に並び、追い山の「櫛田入り」を待っているのだ。行き交う法被姿の昇き手の表情から緊張感が伝わってくる。公園前から見物客は皆歩道に上がり、少しでも会場の間近で見ようと神社方向へと進む。一緒に進んだはいいが一番山笠の並ぶあたりで急に人の流れが止まり、全く前にも後ろにも動けなくなる。人の背中ばかりで昇き山が見えない。会場の回りは早くから場所取りをしている見物客がいっぱいで身動きがとれなく、このままでは暑い、見えない、帰れないの最悪状態になりそうだ。止む終えず通行規制のかかっている会場前の通りをすばやくかいくぐり、一つブロックの離れた通りへと回る。去年句友と泊まった「鹿島本館」の前を通って去年と同じ場所へ行く。ここも既に見物客で占められ前列には並べないが、神社の真正面で、桟敷席や境内の清道旗が人の隙間から辛うじて見える。穴場的な見物席だが、時間とともに後ろから人が詰めてくるので暑い。前後左右にいる人の汗の臭いを振り払うように扇子で扇ぐ。扇子や団扇は追い山の必要グッズといえる。

      

開始10分前のアナウンス。一番山笠の「恵比須流」の子供達が列をなして櫛田入りする。拍手と歓声。見物客の声やテレビ中継のアナウンサーの声。それも5分前、3分前のアナウンスが聞こえる度に静かになる。30秒前、20秒前、10秒前とアナウンスされると人で埋まった神社前は、アナウンスのみが響くほど静まりかえる。午前4時59分。5,4,3,2、ドーンと太鼓の音とともに山笠の男達の怒涛のような叫び声。一斉に携帯カメラやデジカメの手が上がる。前にいる人達の頭の上を山笠が走る。清道旗を回ったのか、一瞬の静寂の後「博多祝い唄」が聞こえる。博多の男として生まれ、一番山笠のみに許される「祝いめでた」の唄を「台上がり」として追い山で唄えることは最高の名誉らしい。見物客には、この場面に立ち会える一体感が何とも言えない感動を呼ぶ。




唄い終わるや、また走り出して第二清道旗の立つ「東長寺」へと向かう。会場はタイムを告げるアナウンスと拍手と歓声。5分おきに2番山笠、3番山笠と櫛田入りのタイムレースが続く。追い山は、この「櫛田入り」のタイムと、ここから「廻り止め」と呼ばれる山笠ゴール地点までの5キロのコースのタイムを競うわけだが、速さはどれだけ気持ちを一つにして山笠を走らせることが出来たかの目安であって、あくまで奉納神事。一位の名誉をいただくのみだ。

「東長寺」前に行くと、門前に三人の僧侶が並び座っている。山笠は拝礼の後、広い道路に立つ清道旗を回り、第三清道旗の「承天寺」へと向かう。午前5時半にはほとんどの山笠が「櫛田入り」を終え、東長寺、承天寺前を通って、幅50メートルほどもある広い道路から狭い路地へと、また路地から広い道路へとコースに沿って博多の街を走る。各所に水桶(バケツ)が用意され、先走りの男たちがそのバケツを持ち「勢い水」と呼ばれる水で道路を濡らし、山笠を濡らし、昇き手を濡らす。熱くなった山笠を冷やす「勢い水」は安全のためにも無くてはならないものらしいが、祭りを一層勇壮なものにする。暗い空は次第に明るくなり鳥たちが飛び交う。



一つの山笠に昇き手を含めてどれだけ多くの人が走っているだろう。昇き手の交代要員、先走り、後押し、交通整理をする人たち。それぞれに役割を持ち山笠を走らせる。背中に「流れ」が書かれた水法被を着て、幼子は父親に抱えられ、小学生らしき子供達も必死な顔でひた走る。法被姿の女の子も走る。各通り、各筋から「オイサ、オイサ」のかけ声が聞こえてくる。通りという通りには、見物客が詰め掛けている。追い山コースの地図を見ながら、走る山笠を見ながらゴール地点の「廻り止め」へと歩いていく。走り終えた人たちへの拍手と歓声。神事であるだけに統制がとれ、山笠に係わる人たちは皆真剣な眼差し。

すっかり空は明るくなり、最後の山笠がゴールしたのか、見物客もファーストフードの店に入ったり、地下鉄の駅へと向かっている。交通規制が解かれ、大通りに車がゆっくり走り出す。ほんの1−2時間前の熱い祭りは終わり、いつもの街に戻っていく。

山笠小屋の横では、追い山を終えた男衆が長いテーブルを囲んで朝食を食べている。少し離れた所で、同じように子供達が法被姿のまま黙々と朝食を食べている。子供たちはこうやって大人の背中を見ながら育っていくのだろう。誇れるものを持つことはいい。そんな思いを抱かせるお祭りだ。とりあえず一眠りしようと地下鉄に乗る。

いつか君行くといいよ 博多には 夢がある

できるなら夏がいい 祭りは山笠