吟行記

平成19年4月号】


第32回平成19年3月15日(木)

参加者:聖子 節子 光子 真理子 由紀子

若戸渡船場・夜宮公園 (北九州市戸畑区)

今月は久々に北九州を吟行することになり、どこにしようかと考えた。今年の冬は全国的に暖かく雪不足がニュースになっている程なので、暖かければ山裾を歩くのもよいかもしれないと「河内貯水池」やその奥にある「九州民芸村」を下見に行く。だが民芸村の寂れようは目を疑うほどで、ガラス工房も染色工房にも人がいない。実際に作業しているのを見せるのが目玉だったのに、家具や民芸品を売るばかりで「売地」の看板も出されている。せめて天気がよければいいが、天気予報は寒い雨になりそうだというので、急遽場所を変更する。

3月15日 10時30分戸畑駅集合。予報通りの雨。五人集まれば明るくなるメンバーなので、ワイワイいいながら傘をさしながら裏駅より若戸大橋へと向かう。今日は大橋の下の「市営若戸渡船」の乗り場から対岸の若松に渡り、以前吟行した「旧古河鉱業ビル」あたりを散策し、また渡船に乗って戸畑に戻り「夜宮公園」へと行くことにする。

  

明治初期から運行が始まったという渡船は、1962年若戸大橋の開通で廃止される予定だったが、市民の強い要望で存続。現在でも通勤、通学等、洞海湾を挟んで戸畑地区と若松地区を結ぶ重要な交通手段となっている。1時間に3−5便も出港しているので待ち時間もさほどなく乗船する。ちょっと買い物に出かける感覚である。船の中は窓際に備え付けの木製の椅子があり、天井からは電車のようにつり革が下がっている。自転車や荷物も乗せられるように真ん中を広く空けてある。五分とかからない乗船時間だが、橋を渡って見る洞海湾と違って旅をしている気分になる。

    

駅裏は海にまっすぐ花辛夷       由紀子

駅裏がすぐ渡船場春の街          節子

春浅し渡船乗り場の硬き椅子     由紀子

船降りてくる自転車も春雨に      真理子

百円の渡船木の芽の吹く風に      光子

あたヽかきイソギンチャクの伸び縮み 光子

若松側に渡って乗船場近くを散策予定だったが、雨は止みそうになく寒い。「旧古河鉱業ビル」の入口に「コーヒーあり」の看板を見つけ中に入る。一階のフロアではダンス教室のレッスンなのか、一組の男女がワルツを踊っている。二階の窓からは湾を往来する船や戸畑地区の牧山の信号所・日本水産のビルなどが見える。少し温まったところでまた渡船に乗り込み戸畑に戻る。大橋の橋桁を間近に抜けて着岸。

  

椅子寄せてダンス教室春灯      真理子

春霖に流れてきたるダンス曲      光子

まだ踊るワルツの二人春灯      由紀子

あたたかしつり革下がる渡し船     節子

春雨の空の大橋見上げられ       節子

車で昼食会場「明専会館」へと移動。戸畑駅周辺は再開発が進み様変わりはしたが、以前戸畑に住んでいた節子さんに道案内してもらう。市民会館跡や明治学園を通り過ぎ夜宮公園横にある会館の駐車場へ。ここは九州工業大学(九工大)の後援組織「明専会」が運営している会館で、結婚式やパーティーも開かれる。こじんまりとしているが庭が美しく躑躅が刈り込まれ満開の花桃が揺れている。

  

ポタージュに浮かべられたる雛あられ  聖子

BGM止んでしじまの春御膳         聖子

運ばれる桜のムース震えをり        節子

昼食後「夜宮公園」の菖蒲田に歩いて行き、その先にある「西日本工業倶楽部」の門まで行ってみる。春と秋の一般公開時に建物の中に入れるが、普段は門から庭園や洋館を見るのみである。アール・ヌーボー様式の館は一際目立つ。私財を投じて明治専門学校(現九工大)を設立した安川敬一郎と次男の松本健次郎氏(伯父松本潜の養子になる)の父子が明治期建築界の指導者でもある辰野金吾氏に学校や自宅の設計を依頼。第二次世界大戦までは松本家が住宅として使っていたが、戦後進駐米軍に接収され、その後北九州経済人の集まりである西日本工業倶楽部が設立されると同時に松本氏から屋敷を譲りうけて倶楽部会館として利用されている。

  

夜宮公園のほんの一部を散策しただけだが体が冷える。公園横の小さな珈琲店に入り句会をする。テーブルが二つ、マスターのいるカウンター席が少し、窓際にカンウター席が少し。10人も入れば満席になるような珈琲店は焙煎にこだわり美味しい珈琲を出してくれる。温子さんや節子さんには懐かしいお店だと思う。雨に濡れた体に熱い珈琲が美味しい。窓辺にはフリージャーが飾られている。小声にて10句の句会・・・。

濡れているコーヒーショップ暖かく   真理子

雨だれの暖かそうな窓ガラス       節子

雨樋の辺り囀り盛んなり           聖子

春時雨珈琲店に一人客          由紀子

  

 戸畑駅にて解散だが、途中「新日鉄沢見社宅」に寄る。九工大の正門近くにある社宅はまだ使われているのだろう。雨が強まり人の出入りはなかったが、駐車場には車が2−3台。温子さんや節子さんが社宅をでられてから何年経つのだろうか?社宅におじゃましたり、九工大のキャンパスで松ぼっくりを拾ったり、懐かしい思い出の地である。皆を戸畑駅で降ろし、先ほど渡船で渡った洞海湾を若戸大橋経由で自宅まで車を走らせる。