吟行記

平成19年5月号】


第33回 平成19年4月12日(木)

参加者 節子 聖子 光子 真理子 由紀子

久保邸・吉祥寺・曲里の松並木 (北九州・八幡西区)

 三月の投句を済ませホッとしていたある日、大きなニュースが飛び込んできた。光子さんのご主人の腎臓移植の話。俳句入選などで時々打ち上げ花火のように驚かせてくれるが、今回はとてつもなく大きな出来事だ。手術は無事成功し経過も良好なのが何よりで、4月の吟行句会は光子さんの慰労会も兼ねて計画する。薬剤師として働くドラッグストアの仕事と毎日の病院通いで忙しくしている光子さんは、吟行当日も休みを取れそうにないので、時間の無駄のない究極の吟行地として光子さんの庭におじゃますることに決める。去年の四月にも吟行させてもらったが、その時はご主人の案内でたくさんの種類の木や花の庭を見せていただいた。

 4月12日10時20分折尾駅集合。駅から車で15−20分程で光子邸に到着。さっそく道路に面した北側の庭を拝見。楓の若葉がさらさらと揺れ、その下にサツキや牡丹、ビオラが咲き、奥には梅の古木が小さな実をつけている。ここだけでも幾種類もの花木があるが、バラのアーチを潜って南側の庭に足を踏み入れると、さらに多くの花木が植えられている。両側や前の家の様子が気にならないように樫や山茶花などの木々が垣根となっている。庭の真ん中には巡廻式の小川があり、それに沿って少し傾斜するように小山を造っている。そこには故郷の会津若松を懐かしんで九州ではあまり見かけないブナやハルニレの木が植えられている。白樺も植えられていたが去年の台風で折れたらしい。

  
北側の庭                           南側の庭    

ふるさとの山模す庭のぶな若葉      真理子

故郷の会津の風やぶな若葉         由紀子

いっせいに花房なびく風の来て        節子

エイプリルフール三人がかりにて       光子

 小川の水は来客時のみ流すというが、せせらぎのマイナスイオンと爽やかさは、これからのご主人の回復に大いに役立つことになるだろう。楓・馬酔木・ヤマボウシなどの木々の緑が美しく、この庭にいると時間を忘れてしまいそうだ。美味しい冷茶をいただいた後、近くの藤の寺「吉祥寺」(きっしょうじ)に寄る。吉祥寺の藤は藤棚からわずかに房が下がるほどで、1メートルほどになる藤の盛りはちょうど「藤まつり」の開催される月末頃になりそうだ。微かに香りが漂い、虻も小さな房の回りを飛び交っている。

  
吉祥寺                          開花前の藤棚

吉祥寺藤の花まだ房短か          真理子

藤房のまだ下がらずに藤の寺       由紀子

 昼食は「北九州プリンスホテル」を引き継いだ「ホテルクラウンパレス北九州」の10階にある日本料理の「七福」にて。北側の窓席が空いている。ここからは黒崎の街やその向こうにひろがる工場群、さらに向こうの若松などが一望できる。旧北九州プリンスホテル時代には、ここでよくテニスの練習や試合などしたが、屋内外のコートは広々とした更地となり、改装するのか無くなるのかプールもスケートリンクも工事中だ。ホテルの建物と結婚式場のみが残された格好だが、広々とした敷地に沿って続いている「曲里(まがり)の松並木」が良く見える。

 昼食後光子さんは仕事の時間が迫ってきたので中座。残った四人は10階のレストランから見た「曲里の松並木」を散策する。ここは江戸時代にできた豊前小倉と長崎を結ぶ長崎街道の一部分で松の並木が残っている。長崎街道の中でも黒崎・木屋瀬・飯塚・内野・山家・原田といったいわゆる筑前六宿(ちくぜんむしゅく)といった各宿は特に賑わったという。その中の黒崎は都市化が進みマンションなどが建ち並んでいるが、この松並木は後に四阿が建ち、記念碑が立つ等美しく整備されている。

  

緑立つ曲里の松に注連張りて      真理子

皿倉山仰ぐ古道や松落葉         真理子

松落葉ばかり選んで歩く道         節子

海棠の君と呼ばれし友の在り       聖子

今回は吟行のみで句会をおこなわなかったが、後で句作となるとなかなか出来ない。四人で句会をもてばよかったと少し悔やまれる。その後光子さんのご主人の回復は驚異的で、二ヶ月の入院予定が一ヶ月で済み、あの庭木を見ながら静養している。お互い無理せず、自分のペースで気持ちの良い日々を過ごされることを願っている。