吟行記
【平成21年6月号】 
 
第58回 平成21年5月16日(土) 
参加者 佳与子 節子 光子 真理子 由紀子 
 
 川渡り神幸祭(田川市)
 
 筑豊の田川といえばかって炭鉱で栄えた町だが、60年代鉱山が閉鎖されて以来、高齢化と過疎化が進んでいる。象徴であったボタ山もほとんど崩され、かろうじて残っているものは草木に覆われて小高い山にしか見えない。衰退するばかりの田川市が、年に一度多くの人を集めテレビや新聞のニュースに載る。それが四百年以上続く風治八幡宮の「川渡り神幸祭」。毎年五月の第三土・日曜日に開催される祭りで、彦山川の対岸にある「お旅所」へ山笠(山車)を引き連れた神輿が一夜泊まり、次の日また宮へと戻る川渡りの神事である。1560年伊田村に疫病が流行し、悪疫退散を村の氏神である八幡宮に祈願し、成就のお礼として奉納されたのが始まりとされる。
   
 5月16日曇り。佳与子さん、由紀子は西小倉駅で待ち合わせ、小倉駅から先にJR日田彦山線に乗り込んでいる光子さんと合流し、田川伊田駅に向う。二両編成のディーゼル車は、小倉の街を抜けると緑の濃い山の中を通り、やがて山裾に黄金色の麦畑が広がる筑豊の町に入って行く。節子さん、真理子さんの博多組は何度か乗り換えがあったようだが、北九州組より早く到着して駅で待っている。駅舎には祭りのポスター、通りには注連縄、リュックを背負った熟年グループやギャル風な娘たちが駅から町中へと歩いていく。
 
    
<田川伊田駅前>                        <田川市内>
 
駅名は「採銅所」とや山若葉     由紀子

麦秋や無人駅より客二人       佳与子

炭鉱の町でありしや麦の秋       光子

ペンキやや剥げし駅舎に祭客     光子

駅前に始まる祭川渡り          節子

乗り継ぎて来し川の町祭前      真理子
 
 有難いことに、早く着いた節子さんたちが食事処を決めている。入った「お好み焼きや」には、数人の客がビールを飲みながら大きな声で話している。関西訛りから察すると、露天商人かもしれない。すったもんだ言いながら昼食を済ませ、神幸祭(じんこうさい)の神輿のある風治八幡宮へと向う。設営されたテントに祭り法被の男衆が大勢集まっている。12時から「例大祭」という神事が執り行なわれるらしい。禰宜や巫女が本宮前に並び太鼓が響く。厳かにお祓いが済むと、境内の見物客は散り散りに八幡宮から下りていく。プログラムをみると神輿の出発は14時。時間があるので八幡宮の階段を下りると、通りに山笠が鉦や太鼓をとどろかせながら曳き回されている。一基に法被姿の男衆たちは20人近くいるだろうか。それぞれに役があるようで、襷を掛けている。山笠の屋根に立ち上がって揺すりに揺すって威勢良く曳き回す。法被姿のモヒカン刈りや剃り込みの男衆を見ると、ここは川筋の町だと実感する。
 
   
<風治八幡宮でのお祓い風景>                <市内を曳く山笠(山車)>
 
町中を山笠十基練り歩き         節子

山車十基通りし後の紙吹雪      由紀子

川筋の町に地車荒々と         由紀子

地車の通りし跡の紙吹雪         光子

祭露地裏に上方香具師らしく     真理子
 
 川渡りの神事のある会場へと行く。彦山川に沿って露店が並び、河川敷には特設ステージが設けられている。堰が作られているので対岸に渡ってみる。堰には隙間のないくらいカメラの三脚が据えられている。本番前の会場は見物客は多くないが、露店の前を若者達がぶらぶら歩いている。
特設ステージの裏手に鳥居が建ち、奥に質素だが比較的に大きな神社がある。砂利を敷詰めた境内に入ると神社らしき建物だが、がらんとして何もない。これが「御旅所」だと知る。
 
  
<風治八幡宮の鳥居と「御旅所」>
 
川堰の土嚢一段神幸祭         佳与子

対岸のお旅所マイクテスト中      佳与子

彦山の水堰きありし祭川         真理子

香春岳見えて御旅所川向かふ     真理子

御旅所の裏手にお化け屋敷かな    由紀子

神輿待つ対岸すでに賑わいて       節子

駐車場にはか茶店に祭町         光子
 
 14時の神輿の出発も見てみたいが、なかなか訪れることのない田川の町なので、川渡りの神事の時間まで彦山川に沿って歩き、「道成寺」を拝観することにする。新緑に囲まれた境内は祭りの河川敷での大音響の音楽もほとんど聞こえず、時折鳥の声が聞こえるのみである。奥に「小督の墓」があると案内板にある。寺伝などによると、平安時代高倉天皇の寵愛を受けた小督が天皇の義父にあたる清盛を怖れて身を隠し、最後に大宰府の観世音寺の血縁の僧を頼って九州に向かい、途中この道成寺に逗留したが、旅の疲れからこの地で世を去ったとある。
 
  
<「道成寺」の境内と庭>
 
山寺に山椒喰か青葉闇        真理子

山寺に小督の墓も山法師       真理子

筑豊に小督の墓や花樗        由紀子

新緑を映して底の見えぬ池      由紀子
 
 寺のすぐ下を子供山笠が練り歩いている。また川沿いを歩いて会場に向う。正面に香春岳(かわらだけ)が見える。五木寛之の「青春の門」の書き始めの香春岳である。昔から銅の採掘が行なわれ、昭和に入ってからはセメント会社が石灰の採掘を続けてきたので山の天辺が直線に切り取られている。この山以外には、どこにでもある山間の風景だ。空はどんよりと雲り少し肌寒い。青葦の伸び始めた川原をツバメが飛び交っている。
 
   
<香春岳(左:現在、右:昭和初期)>
 
新緑に肌をあらはの香春岳        光子

錆色の瓦に鉱山の梅雨兆す      真理子

鉄橋の上へ下へとつばくらめ     由紀子

青蘆や線路に柵もしてをらず       光子
 
 会場は先ほどより随分人が集まっている。川の中へ入る坂の下りきった辺りが空いているので陣取ると、すぐに奉納の獅子舞があるらしく俄かに人が動き出す。風治八幡宮から出発した神輿の大小二台が到着する。いよいよ川渡りが始まる。陣取った所が良く、目の前を神輿が川の中に入って行く。堰の辺りまで進んだ後に特設ステージの川の中に据えられる。神輿に続いて次々に山笠が川の中に入っていく。通りで見物した山笠に馬廉(バレン)という飾りをつけ、一段と華やかになっている。川に入る前も入ってからもその山笠を威勢よく揺らし、鉦太鼓をとどろかせ、男衆の掛声や笛が鳴る。川面にはちぎれた馬廉や紙吹雪が浮かんでいる。降りだした雨は山笠の迫力に押されたか止んでしまう。
 
   
<川の中の大小2台の神輿>
 
  
<馬廉(バレン)で飾られた山笠>
 
先導の祭獅子とや荒々し        佳与子

魚跳ねる川へ祭の始まりし        節子

金色の神輿先頭川渡し           節子

川渡る神輿清めの雨の降る      由紀子

川中に神輿舁き入れしぶき上ぐ     光子

神幸祭一番やまは鉄砲町         節子

傾ける山笠に舁き手に川しぶき    佳与子

川渡りいよいよ険し祭笛         真理子

荒れ狂ふ山車のがぶりに馬廉散る   光子

川渡る五番山笠まで見ることに    佳与子
 
 十基すべてが川の中に入り、気勢をあげて水を掛け合ったり、神輿が御旅所に入るところなど、まだまだ祭は夜にかけて続くのだが、句会時間や帰宅時間を考えて途中で会場を離れる。駅前の喫茶店らしき店で10句の句会。帰りの電車の時間を気にしながらの句会だったが、祭りの迫力に皆満足。「黒いダイヤ」という羊羹をお土産に博多方面、北九州方面と分かれて解散。
 

 
 神輿2台と山笠10基の舁き手だけでも200人以上の若者が要る。過疎化の進む町での勇壮な祭なだけに人集め、統制の取り方など色々な問題があるかもしれない。怪我のないように、また神事としての祭を大切に守り続けてほしいと思う。山笠の通り過ぎた通りに散っていた紙吹雪を拾い集めて掃除をしていた若者達の姿に温かいものを感じ田川の町を後にする。
 
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