吟行記
【平成23年9月号】 
 
第85回 平成23年8月24日(水)
参加者 節子 光子 真理子 由紀子
地蔵盆 (小倉北区) 
 
 
 
 8月下旬、千種さん、温子さん、裕子さんが佳与子さんのお見舞いに一泊の予定で北九州に来られた。お見舞いを遠慮していた九州のメンバーも、気持ちだけでも伝えていただきたいと思い、急遽同じホテルを予約して遠来の句友達を迎えた。運良く数少ない和室が取れ、料金も格安。案内された部屋は将棋や囲碁の名人戦等が行なわれたという部屋で、二間続きの部屋に、檜の風呂と洗面所が二つある特別室。沈みがちな気持ちにホッと気持ちが和む。夕食にと出掛けた小倉の歓楽街では思いがけなく「地蔵盆」に出会え、それらを句材にホテルにて7名での句会。清記された各人の句は、翌日佳与子さんに渡すことができた。この来北九州以来、佳与子さんに活力が戻ったことが何よりである。 
 
        
 
病む人の手に重かりしぶどう房   真理子

病む友の泣き笑いして親しき灯   由紀子
 
たまたま行き合わせた地蔵盆だが、初めてのものであった。地蔵菩薩の縁日(毎月24日)は地蔵会、地蔵祭と呼ばれるが、旧暦7月24日については盂蘭盆期間中であり、それにちなんで地蔵盆と呼ばれ、全国的に行なわれている風習であるが、特に近畿地方を中心とする地域で盛んに行なわれているとウイキペデイアに書かれている。それによると地蔵菩薩は中近世以降、子供の守り神として信仰されるようになり、地蔵祭には子供が地蔵の前に詣り加護を祈る。子供向けに仏僧による読経や法話がおこなわれたり、地蔵盆の朝には「数珠回し」といって、直径2−3メートルの大きな数珠を囲んで座り、読経にあわせて順々に回すなどするらしい。

今日でも地蔵に詣った子供達は、供養の菓子や手料理などを振舞われることが多く、地域の子供達にむけたイベントが行なわれているらしく、京都出身の千種さんによると、地蔵盆は子供の頃の楽しみのひとつだったと言う。 
  

【小倉・鍛冶町の提灯飾り】
 
駅前の路地に延命地蔵盆      節子

地蔵盆歓楽街の入口に       由紀子

地蔵盆見過ごしさうな御堂にも    光子

はにかみて菓子授く子も地蔵盆   光子

線香を一本供え地蔵盆         光子
 
北九州でも行なわれているとは知らなかったが、ネオン街に赤い提灯が飾られ、隅に小さく祀られている地蔵に雨除けのテントが張られている。今年は太鼓や踊りで大々的に開催するとパンフレットも所々に張られている。食事の時間と重なったため、それらを見ることはできなかったが、お参りすると袋に入ったお菓子を渡される。大事にバッグの中に入れ持ち帰る。 
 
太鼓打つ音は地蔵会どこかより   節子

通りたる人戻り来し地蔵盆     由紀子

鴎外の家ほど近く地蔵盆      佳与子
 

【鴎外旧居】
 
佳与子さんが、句と一緒に手渡した地蔵盆のパンフレットを見ながら作ったと思われる上記の句のように、地蔵盆の行なわれている通りを東方向にまっすぐ歩くと、左手に「鴎外旧居」がある。雑居ビルの谷間に庭のある小さな二階家がひっそりと建っている。鴎外は第十二師団の軍務部長として明治32年6月から明治35年の3月までの2年9ヶ月の間、小倉に滞在している。

次の日「貝寄風」発祥の地「鉄王」を散策。あの313棟一帯は戸建の住宅街になっているが、まだ少し残っている社宅もあり、あのパン屋も美容院も市場も健在だった。四半世紀前に子育てを共にした仲間が新たな仲間を作り、こうして一緒に散策できることに感謝。そしてその仲間の健康を祈り、回復を心から祈る。 
 
  
【なつかしい穴生社宅と丸善市場】
 
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