吟行記
【平成23年12月号】 
 
第88回 平成23年11月7日(月)
出石への小旅行
 
9月下旬、千種さんより11月8日の「杞陽忌」のお知らせメールが届いた。昇先生が豊岡から退かれると聞いてから、再び「杞陽忌」に参加することも豊岡にも行くこともないだろうと思っていたので嬉しい驚きだった。メールには今年の「杞陽忌」三十年祭をもって区切りにしたいということ、京極高晴氏が直接昇先生に出席を要請され、昇先生も快諾されたことが書かれていた。昇先生が出席となれば是非参加したい。 
 

杞陽忌
 
引越しの手伝いなど11月6日まで用事が入っており、持病の腰痛や体調を考えると「杞陽忌前日句会」参加は少し無理がある。7日の出発を少し遅くして豊岡に着き、8日の「杞陽忌」には体調を整えて臨みたい。九州からは7日の早朝出発で真理子さんが「前日句会」参加。光子さんは7日の仕事を終えてからの出発で、21時すぎホテルに到着予定らしい。自分だけの計画を立てる。九州から豊岡に行くには、新幹線姫路駅より播丹線の特急「はまかぜ」に乗り換えるのが最短コース。ただ豊岡まで行く特急の本数が少ない。姫路13時17分出発の次が19時21分。13時の特急にすると豊岡到着が14時57分である。これだと自宅を9時半に出れば十分間に合う。 
 
「杞陽忌」前日句会のスケジュールは玄武洞や日和山方面を吟行のようで、ホテル帰着が21時30分予定。皆との合流までどう過ごすかが問題だ。到着後このコースを辿ることもよいが、近くに出石(いづし)の城下町があり、小京都のような風情ある町だと聞いたことがあるので、ネットで少し調べ、後は豊岡に着いてから決めることにする。 
 
   
【JR豊岡駅と駅前商店街】
 
11月7日、小倉10時55分の新幹線「ひかり」に乗車。姫路から特急「はまかぜ」で和田山経由豊岡に到着。豊岡の手前で信号トラブルか何かでしばらく停車となり、20分遅れで到着する。
新しくなっている豊岡駅に戸惑いながら、地図を片手にホテルに向う。荷物をホテルの部屋に解いたものの、さてどこに行くか?午後3時半を過ぎての知らない町の一人散策は、観光地の方が安全だ。フロントで出石へのバスの時刻表をもらう。全丹バスで約30分。終点なので迷うことはなかろうと、駅前のバス停から出石行きのバスに乗る。城崎や日和山とは反対方向。観光客らしい人は乗っておらず、学生の乗り降りが多い。枯薄の川辺に沿って走り、やがて集落のような町の通りへと入っていく。山に囲まれた町並みは、こざっぱりしていて終点のバス停のすぐ近くから、大寺の屋根や城跡などが見える。降り立ったのは2−3人の学生と私のみである。
 
  
【家老屋敷と出石の町並み】
 

芝居小屋「出石永楽館」
 
観光案内の地図をみれば、魅力ある場所が随所にあるようだが、初冬の午後4時からの名所巡りは的を絞らねばならない。足早に城址の入口まで行ってみる。山を背に高々とある石垣と紅葉。城址から伸びている道は「大手町通り」で、右に市役所出石支所、左に家老屋敷、「西門跡」、大手町通りの中心には出石を象徴する「辰鼓楼」(しんころう)。この辺りは土産屋が軒を連ねている。碁盤の目のように真直ぐな道は分かりやすく、名所旧跡の案内標識も辻ごとにある。 
芝居小屋の「永楽館」をのぞいてみる。その日は歌舞伎公演があっているようで、中は見学できない。「出石永楽館」は近畿最古の芝居小屋で、明治34年から昭和39年まで大衆文化の中心として栄えたようだ。平成に入って復活の声が上がり、平成20年に再建されたという。 
 

【出石のシンボル「辰鼓楼」】
 
ホテルに帰っても一人なので、ここで夕食を済ませようと出石の名物「皿そば」をいただく。お店は彼方此方にあって迷ったが、老舗らしい構えと「辰鼓楼」の傍という好立地なお店にする。入口は狭いが、中に入ると広々と団体さん向けのような長机と座布団が置かれている。新しいのか古いのかわからない大掛かりなものがたくさん展示されていて、趣味がいいとは言えない。だだっ広い所に一人座ると全くの場違いな気分になるが、ガラス越しに「辰鼓楼」が真横にあるのが何よりである。
 
注文した一人分5皿の「皿そば」を持ってきた女性が食べ方の説明をする。基本的には好きなように食べていただいて構いませんがと付け足して・・・。
@そばつゆを少し飲んで味わう。
A一皿目はつゆだけで食べ、二皿目はねぎ、三皿目から わさび とろろ 卵を入れる。
B追加してよし。
Cそば湯を注ぎ飲み干す。
蕎麦を味わうというより、つるりと食べてしまう。追加もしたかったが、山里の暮れは早く、もう少し歩きたいので、土産用にそばを買って店を後にする。 
 
   
【皿そばの食事処】
 
ちょうど17時になると「辰鼓楼」から時を知らせる音がする。実際に使われている時計と思っていなかったのでちょっとびっくり。辰鼓楼は明治4年(1871)旧三の丸大手門脇櫓台に建設された鼓楼。当時は1時間ごとに太鼓で時(辰)を告げていたらしいが、明治14年に藩医、池口忠恕氏が大時計を寄贈してからは、時計台として親しまれ、今では三代目の時計が時を刻み続けているという。 
 
この時間にバス停あたりからようやく団体さんが来てすれ違う。どの土産店も開店休業のように人が少なく、中には閉店の準備をしているところもある。土産屋はどこも同じようなものを扱っているので、通りを歩き、城址前の公園に戻る。辺りが暗くなり、広場のフラワーポットに植えられている白い花も見えづらい。着いた時、真っ白な花に惹かれて一本手折ったが、この花は蕎麦の花かもしれない。これだけ「皿そば」の店が多いのだから、シンボルとしてフラワーポットに植えられていてもおかしくない。確信があるわけではないが、帰る頃になってそのように思うのが、何とも私らしい。 
 
  
出石の町並み
 
バス停で豊岡行きのバスを待っている間に周りの山々は真っ暗。豊岡行きのバスに乗り込み出石の町を後にする。中心部のみで全体の三分の一も散策はできていないが、程よい満足感が残る。豊岡駅に21時過ぎ到着した光子さんとホテルにて皆の帰りを待ち、予定通り21時半ホテルにて皆と再会する。 
 
時雨忌の今も時打つ辰鼓楼  

名も知らぬまま秋草を持ち歩き

初冬の野に片濡れの小積藁  

新蕎麦をすする早さに山の暮 
 
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