吟行記
【平成25年3月号】 
 
第103回 平成25年2月3日(日)
参加者 勝利 佳与子 節子 光子 真理子 由紀子
東長寺の護摩焚と櫛田神社の節分会(福岡市博多区)
 
毎年恒例のように行くようになった東長寺の護摩焚と櫛田神社の節分会に、今年は吟行として行くことに決まった。節分会に行く前には、ネットで今年はどの役者さんが何時に豆撒きをするのか等調べて、混雑するので避けるようにしている。櫛田神社の狭い境内に、博多座に出演中の役者さんが投げる福豆目当てに大混雑するからだ。
いつものようにネットで調べていると、年男、年女の豆撒きが当日申し込みでも出来ると書いている。特に条件はない。福岡市在住でなくてもいいのか、氏子でなくていいのか、半信半疑で櫛田神社に電話すると、いとも簡単に「年男」「年女」であれば出来るという。北九州在住ですと念を押したが、問題ないという。今年は巳年。ただの年女ではない。還暦である。次の年女になるのは72歳と思うと、これを逃すべきでない!!あの山笠の神社の舞台で、自分が節分豆を撒くことなど思ってもいないことである。 
 

【櫛田神社・節分会】
 
皆との吟行句会なので、出来るだけ迷惑かけないようにと午後2時に鳥居の前に集合し、近くの喫茶店で句会をすることのみ決め、後は自由行動とメールする。有難いことに、皆豆撒きの時間が判れば様子を見てくれると言う。
当日10時前に社務所に到着。それぞれにメールが届き、櫛田神社の1回目の豆撒きを見る人、東長寺の護摩焚に行っている人など、取りあえず皆の居場所を把握。10時開始の1回目の豆撒きは、地域の有力者、2回目は歌舞伎役者なので、一般の人は11時以降となり、申込み順だという。時間指定はできない。さてどうするか・・・考えているうちに今年の豆撒きの役者、中村勘九郎、七乃助兄弟が神社に到着するらしく、警備の人や博多座の法被を着た関係者がマイクを持ち、社務所前にロープを張り始める。名役者勘三郎亡き後「時の人」になった兄弟だけに、これはここで待たねばと生来の野次馬根性が出て、ロープすれすれに到着を待つ。ようやく着いたハイヤーの後部座席のスモークガラスに朝日が反射して良く見えない。
さっと社務所に入って行く後ろ姿を見送り、出番を待つ。だが境内は彼ら目当てのファンも多く、身動きが出来ないほどの混雑ぶり。見るのは諦めて祈願とお参りを先に済ませようと思ったが、晴天の日曜日とあって長い列をなしている。家族の祈願証を書いてもらい福引を引く。 
 
   
        【中村勘九郎】                【東長寺より櫛田神社へ移動中の芸奴】
 
掛声のとぶ六代目豆を撒く          光子

豆撒きし歌舞伎役者を待つハイヤー  由紀子 
 
勘九郎さんたちの豆撒きが終わったらしく、歓声が一段落し人が動き出している。ということは勘九郎さんたちは待たせているハイヤーで帰るということなので、またもや社務所前のロープの前に陣取る。見物客のまばらの中ハイヤーが動き出しぴったり自分の目の前に止まる。節分会に来たというより、全く歌舞伎役者の追っかけ。
来ました、来ました。テレビと全く変わらぬ二人が目の前のハイヤーに乗り込んでいく。一人の70代とおぼしき女性が握手を求めてロープをすり抜け追っかける。これぞ追っかけ。印象的だったのが勘九郎さんのファンへの丁寧な接し方。ここでもファンを増やしたようだ。 
 
豆をまく役者が退けば人も又      佳与子

撒き終わる豆に人波入れ替はり    佳与子 
 

【東長寺】
 
この時点で豆撒きを申し込むと、12時か12時半に撒くことになりそうなので、皆の集まっている東長寺の護摩焚に向う。いつものように東長寺の境内は人で混雑し、被り物の七福神が舞台に上がっている。11時の護摩焚きはすでに始まっており、本堂の上がり口近くに座る。
 
護摩堂にほら貝ひびく節分会       節子

護摩堂に炎上がりて厄落          節子

もうもうと煙る護摩堂春浅し        節子

護摩堂の中に咳く経文も          節子

ほら貝の音に始まる節分会        節子

春塵の六角堂に人待ちて        真理子 
 
経文で厄を落としてもらい、護摩堂を出て皆と会う。デジカメを光子さんに渡し、撒く姿を写してもらう約束をしてまず一安心。境内の舞台からの豆撒きの豆を1個拾ったが、もう心ここにあらずで、昼食の皆と別れて櫛田神社に戻る。12時30分過ぎ受付を済まし、すぐに社務所内に入る。撒く時間が13時30分だと確認して昼食中の皆にメールする。あとは撒くだけなので、係りの人の指示に従い、靴と荷物を預け着付けの部屋に入る。三人の年配女性が手馴れた様子で次々と裃と袴を着付けていく。赤い手ぬぐいを渡されて出来上がり。一人2−3分位だろうか。素早い。 
 

【巳年の赤い手ぬぐい】
 
裃姿で二階の廊下の長椅子で前の組の人達の終わるのを待つ。30分間隔で撒くので流れ作業のように人が動く。
接待室の戸が開き、同じ時刻に撒く人が一同に座り、和服の日本女性から大盃でお神酒をいただき、和服の外国人男性からお抹茶と和菓子をいただく。そして笊にはいった紅白のボールとマジックを渡され、好きな言葉を書く。自分がもらって嬉しくなる節分にふさわしい言葉をと注文が入る。それが終わると、紅白のボールを手にしたまま隣の部屋へ移動しご祈祷を受ける。自分の住所と名前がちゃんと呼ばれる。神妙な心持で、いよいよ社務所より舞台へ向う。途中枡を手渡され紅白のボールを入れる。一列になって進むが、ちょうど真ん中当りにいるので、舞台でも真ん中あたりになりそうだと気持ちよく列に従っていく。 
 
裃をつけて女や節分会         由紀子

裃をつけて福豆出番待つ        由紀子

還暦の豆撒く友に馳せ参じ        光子 
 
   
【豆撒きに集中してます・・・】
 
舞台が見えてきて、次々に紹介されている。やがて自分の名前も呼ばれるのだろう・・・とか、佳与子さん達は間に合ったかしらなど思いながら舞台の正面に立つと、人・人・人に圧倒される。
皆のにこやかな顔が迫って来る。ぐるりと見渡せば・・・勝利さん、光子さんカメラを持っている。節子さん、佳与子さん、真理子さんが手を振ってくれる。嬉しくなって小さくVサイン。自分の名前が呼ばれたのに記憶が全くないのは、すっかり舞い上がっていたのだろう。枡の紅白のボールを手に持ち、まずポーズ。そしていよいよ撒き始め。ボールを投げた後は次々に後ろから福豆や餅が飴の入った枡を渡される。節子さん真理子さんらのいる辺りや真下で手を差し伸べている人、後方にいる人に撒いてみる。
力いっぱい後ろに投げてみるが、思ったほど飛ばない。見ている人には「艶つけて投げよっしゃん」みたいだったらしいが、本人はいたって一所懸命。舞台に用意されていた福豆の枡が全部空になったところで終了。中央にいた50代の男性が指名され「祝いめでた」を3番まで唄い、博多一本〆で舞台を降りる。
 
追儺会の舞台に迫る人出かな      由紀子

舞台より我還暦の豆を撒く         由紀子

豆をまく女に彼女帽子振る         佳与子

裃の彼女神妙豆をまく
            佳与子

なやらひの太鼓連打や子は眠り     佳与子

我もこの善女の一人豆を撒く         節子 
 
社務所に戻り、すばやく裃や袴を返して一袋のお土産を手に皆のいる境内に急ぐ。袋の中には櫛田神社の御札、お神酒福掻、福豆など縁起物が沢山入っており、皆の手には拾った福豆がたんまりとあった。勝利さんはカメラマンに徹して貴重な豆撒きシーンを写してくださり、光子さんは豆を撒く前のシーンを写して下さった。有難うございます。
 
豆まきの二社を巡れば日暮れかな    佳与子 
 
  
【櫛田神社周辺】
 
句会は櫛田時神社から中洲川端商店街を抜けて、博多レバレインのホテルオークラ1階の喫茶室にて7句出句。その後オークラ前解散。 
 
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