吟行記 【平成25年4月号】 |
|||
第104回 平成25年3月6日(水) | |||
参加者 勝利 光子 由紀子 | |||
仏心寺と今村教会堂 (太宰府市・太刀洗町) | |||
坊城俊樹主宰の九州花鳥会の句会が初めて開催された。前日の5日に九州入りをされマイクロバスで太宰府周辺を吟行されるとのことで、同行させてもらう。予定地の都府楼址、天満宮、観世音寺は何度か吟行しているが、都府楼址の横の花鳥山仏心寺は初めてであった。この寺の住職河野静雲はホトトギスの同人。昭和24年に建立され、虚子を祀る「虚子堂」があり、多くの句碑がある。また寺の山裾にある「帯塚」は、虚子が擦り切れるまで愛用した「博多帯」を静雲に託し、仏心寺のそばに埋めて欲しいと願ったことにより建てられたものである。 | |||
![]() ![]() 【都府楼跡と帯塚】 |
|||
天の川の下に天智天皇と臣虚子と 虚子(政庁前 朱雀大通り) 帯塚は刻山裾に明け易き 虚子(仏心寺) 冬耕の水城といえる野を急ぐ 年尾(仏心寺) 虚子堂となづけしことよ萩芒 立子(仏心寺) 刻惜み刻山裾の椎拾ふ 晴子(仏心寺) あたヽかき旅の出逢いとなりしこと 汀子(仏心寺) あかつきの清気真白の酔芙蓉 静雲(仏心寺) |
|||
翌日の6日午前7時に久留米のホテルを出発し、遠くに耳納連山が霞む長閑な景色を眺めながら、マイクロバスは太刀洗の教会堂に到着。久留米から20-30分くらいかかっただろうか。天主堂は煉瓦造りの立派なもので、目を見張るほどであった。長崎や平戸などの教会が観光地としても有名だが、福岡県にこのような教会堂があるとは知らなかった。復活祭前の四旬節の祈りの期間で、9時のミサに信者の方々が集まるので、その前に堂内を見させてもらう。同行の「花鳥」の編集委員の栗林氏の力添えが大きく、関係者の丁寧なもてなしや説明に感銘を受ける。 | |||
![]() ![]() 【今村教会:1】 |
|||
この辺りのキリスト教信仰は戦国時代にさかのぼるとされ、禁教令以後も隠れキリシタンとして信仰を続けていたらしい。幕末、長崎大浦天主堂の神父が、隠れキリシタンの発見と正統な信仰への復帰に努め、1867年(慶応3年)今村のキリシタンたちが発見される。(今村に100戸、周辺に100戸)平野部でのキリシタン発見は極めて稀らしい。現在の今村教会堂は、明治45年着工、大正2年(1913年)に竣工されたものである。 教会に集まってくる信者たちの中には、農作業を終えてくる人もいるのか、軍手をはずして十字を切り、白いベールを被って祈りを始めている。邪魔をしないように教会堂を後にする。 |
|||
祭壇の絵ガラス映る春の闇 勝利 お陰様で春めいて来ました寿庵様 勝利 教会の双塔見ゆる雲雀野に 光子 |
|||
![]() ![]() 【今村教会:2】 |
|||
近くの田畑を歩いて行くとお墓が見える。田んぼの広がる中にかたまって建っている。崩れているものもある。土に帰るように倒れている墓石の回りには土筆がたくさん生えているので、足元に気を付けながら見て回る。 日本式の墓石の上に石の十字架のある墓を見るのは初めてで、この辺りの集落が隠れキリシタンの里だと実感する。雲雀が鳴き、鶯が鳴く空は、霞がかかってはいるが、とても穏やかな風が吹いている。 |
|||
![]() ![]() 【耶蘇墓】 |
|||
耶蘇の墓土筆踏まずに入りなむ 勝利 教会の空にまぎれのない初音 由紀子 蛇穴を出でて筑後に耶蘇の里 由紀子 耶蘇墓の倒れしところ土筆生ふ 由紀子 揚雲雀ゆく手に昼の月かかり 光子 麦青む畦を自転車通学生 光子 春光や湧き出づるもの描かれし絵 光子 荊棘の名の違えば育つ芽も違ひ 勝利 |
|||
久留米に戻り、句会場になっている石橋文化センターの広い庭園を吟行。久留米出身の青木繁や坂本繁二郎などの絵など見応えのある絵が多く展示している石橋美術館にも入館する。 句会場では、マイクロバス同行者以外の参加者も多く、盛会のうちに句会を終える。 |
|||
![]() 【石橋文化センター】 |
|||
![]() ![]() |