【平成19年10〜12月掲載】


<平成19年12月掲載>

海に出て木枯帰るところなし  (山口 誓子 

昭和十九年の作。木枯の句では池西言水の「木枯の果はありけり海の音」が有名です。海、木枯と材料が同じなので、よく思いあわされるのですが、誓子のこの句の方に、還らざるものという意識が強く感ぜられます。それというのも、誓子が特攻機のことを思いながらこの句を作ったといわれることによるのでしょう。それとともに、戦中いつ治るとも知れぬ病に耐えている自分の気持も投影されているといえましょう。この句の木枯がどこか擬人化されているように見えるのも、そうしたことに関係しているのだと思います。言水の木枯は海の音に変って存在をつづけます。誓子の木枯は戻る場所を失って迷いつづけるのです。

<NHK学園近代俳句鑑賞 平井照敏 評>


<平成19年11月掲載>

しぐるるや目鼻もわかず火吹竹    (川端茅舎)  

「露」の茅舎は、また「時雨」の茅舎でもあります。
大きな寺の庫裡の台所、土間に据えられたかまどの焚き口に、小僧などといった人物がうずくまって「火吹竹」を一心に「吹」きながら「火」を焚いているところです。
「しぐ」れにうち湿った薪はなかなか燃えついてくれないらしく、しぶとくけむっているようです。「目鼻もわかず」とは、「目」も「鼻」もわからないようだ、ということですが、いぶる煙で涙やら「鼻」水で、くしやくしやになっている顔が想像されてきます。「火吹竹」に「目鼻」が集約されているユーモアのうちに、下働きの労苦へのやさしい眼差しがここにはあります。
昭和三年作。

<NHK 俳句入門 上田五千石 評>


<平成19年10月掲載>

ふくみみる新酒十点みなよろし  (西山小鼓子)    

丹波で酒造業をやっている方の句で、流石にその喜びのようなものを感じます。新酒を仕込んでから熟成するまでは、よく出来るであろうかと、希望と不安の月日なのでしょう。新酒を口に含みつつ、十点全部が合格であるという喜びと安堵の表情が窺える。

<NHK俳壇 平成10年10月号 星野椿評>