【平成20年1〜3月掲載】


<平成20年3月掲載>

七十の母がかしづく雛(ひいな)かな  (山田みづえ)  

夫が逝き、子供たちはみな独立してしまうと、母はひとり暮らしとなった。昔からのしきたりをきちんと守る母は、若いころから、三月になると雛を飾った。戦前には二揃いの雛があったという。その雛は戦争で手放してしまったが、世が落ち着いてから、作者山田みづえ(1926〜)は母へ雛を贈った。七十の母が、娘から贈られた雛を飾り、挑の花を生け、雛あられを供えているのである。
 この句は昭和四十五年の作。句集『本話』収載。今から三十年近くも昔である。作者も若かった。母を見ながら、自分が母の齢になったら、どういうことになるのだろうと思うのだった。七十の母を詠いながら、自分を詠っているのである。
 この句の「かしづく」に注目してほしい。古語辞典によると、@付き添って大切に守る。大事にして育てる。Aうしろ見する。世話する。の意がある。「七十の母が飾りし雛かな」とはまったく違うのである。「かしづく」が、この句の生命である。俳人はたくさんの言葉を却っていなければならない。

<出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著>


<平成20年2月掲載>

若狭には仏多くて蒸鰈(むしがれい) (森 澄雄)  

私は蒸鰈が好きで、京都へ行くと錦小路で蒸鰈を買って帰る。冬から春にかけてがうまい。淡い紅色の卵が肉を透いて見える。焼くと肉が白く濁って卵が見えなくなる。焼くときの香りがなんともいえなくよろしい。
 京都の蒸鰈は若狭のものが上物だとされている。日本海の鰈が琵琶湖畔を通って京都へ運ばれるうちに、塩がなじんで美昧になるそうだ。若狭から琵琶湖の湖水にかけては十一面観音信仰が根強い。ことに若狭にはよいお寺があり、よい仏さまがいらっしやる。十一面観世音の羽賀寺、大日如来の円照寺、千手観音の妙楽寺、薬師如来の多田寺、それに奈良二月堂に水を送るという神宮寺かおり、万徳寺、国分寺、明通寺などがある。まさに「仏多くて」である。
 森澄雄(1919〜)はある時期、琵琶湖周辺をしきりに詠んでいた。この句もそのころの句で、昭和五十年作。蒸鰈を食べながら、若狭を思い、若狭を思いながら、その寺々の仏さまを思っているのである。

<出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著>


<平成20年1月掲載>

笹鳴や水のゆふぐれおのづから  (日野 草城)  

 草城第二句集『青芝』所収。冬の鴬は藪の中などで、チッチッとまだ整わぬ幼い鳴き方をしています。これを笹鳴といって、冬の季語となっています。笹鳴は、初冬仲冬晩冬を通じての季語ですが、この句は晩冬も春の気配のどこかに感じられる頃の季節感と、そういう季節の一日の暮れ際の或る一刻を、まことにたくみに表現しています。笹鳴はかすかな音だけですし、「水のゆふぐれおのづから」という部分にも手応えの確かなものは何もなく、意味も少し曖昧です。ですが、具象性弱く、やや曖昧でさえある言葉のつらなりは、春のすぐそこに来ている季節の夕ぐれの気配そのものになっているといえましょう。

<出典:NHK近代俳句鑑賞 飯島晴子 評>


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