【平成20年4〜6月掲載】


平成20年6月掲載>

緑蔭に三人の老婆わらへりき  (西東三鬼) 

西東三鬼(1900〜1962)は昭和俳句が生んだ鬼才である。昭和初期に始まった新興俳句運動の代表作家である。従来の伝統を無視して、自由に作句した。天空を駆ける天馬のような姿だった。この句は昭和十一年の作。三鬼の初期の代表作である。
緑陰から笑い声が聞こえる。見ると、樹下に三人の老婆が鼎座して笑っているのである。しやがれた不気昧な声である。一人でも二人でもない。四人以上でもない。私はこの句を見て、シェークスピアの『マクベス』を思い出した。マクベスが自分の運命を占うために魔女を訪れる場面である。あの魔女もたしか三人だった。三という数の不気昧さを思う。
 のちになって、三鬼の自註を調べると、この句は「井の頭公園の作。(中略)三人声を合せて笑った」とあった。しかし、この句を読む限り、この三人の老婆は実存在でなく、三鬼の脳裏に棲む魔女のように思える。緑蔭が季語のように見えるが、果たして、三鬼が季語として用いたのかどうか分からない。季語としての緑陰は大正末期に歳時記に採用されたばかりである。

(出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著)


平成20年5月掲載>

さみだれのあまだればかり浮御堂 (阿波野 青畝) 

大正十三年、大津市堅田での作。浮御堂は、堅田町の琵琶湖中にのびた宝形造りの仏殿で、「堅田浮御堂」と呼ばれる。江戸時代後期安藤広重の浮世絵「堅田落雁」に描かれ有名になったが、室町時代の関白近衛政家が中国洞庭湖の「瀟湘八景」にならって選んだ「近江八景」の一つ。芭蕉も訪れて「堅田十六夜乃弁」と題する俳文と、「鎖あけて月さし入よ浮御堂」などの句がある。
 この句の季語は「五月雨」で夏。陰暦五月の雨の意で梅雨と同じ。描かれているのは浮御堂の軒を伝い落ちる雨しずくだけなのだが、季語のちから、平仮名表記の効果、ア母音多用(七つ)と「だれ」の繰り返しによる力強いしらべなどによって、滂沱たる梅雨の湖上に浮かぶ浮御堂の楚々とした風情を描出。(抜粋)

(出典:「名所で名句」鷹羽狩行 著)


平成20年4月掲載>

鵯の言葉わかりて椿落つ (阿波野 青畝) 

梅に鴬という言葉がありますが、椿にやってくる鵯も、かなり月並みな配合といっていいでしょう。俳句をつくるとき、こういう月並み、平凡なとり合わせはたいていの人がきらうのですが、作者は敢然と挑戦し、実にユニークな一句にしました。作者はこう解説しています。「鵯の言葉」というのは、「その鳴声のアクセントなり、飛びまわる行動なりからおのずと正確な判断ができそうである。一番親しみぶかい椿の花の精は鵯の意志をよく知っている。鵯に応答して真赤な花をぽたんと落してみせたのだと思われる」。とにかく童画のように純でたのしい句です。

(出典:NHK近代俳句鑑賞 藤田 湘子 評)


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