名句鑑賞
【平成20年10〜12月号掲載】
 
 <平成20年12月掲載>
 
 とつぶりと後ろ暮れゐし焚火かな (松本たかし)
 
 
 
 秋の子供のころ育った家は鎌倉・扇ケ谷にあって、広い庭があった。庭といっても造られた庭ではなく、空き地という感じで、子供が三輪車を乗り回したり、色の鮮やかな伸子(しんし)張りがひろげられたりした。秋から冬にかけては焚火の場所だった。庭のまわりの雑木の落葉を掻いて落葉焚きをする。冬の日は暮れるのが早い。落葉の火を育てているうちに、気がつくと紫色の夕靄が湧き出していて、火の色がひときわ鮮やかに見えてくるのである。焚火の宰領は大人がしたが、子供にとっては公然と火遊びができるのである。うれしくて仕方がなかった。昭和五年ごろである。
 子供の私は扇ケ谷にいたが、掲出句の作者は同じ謙倉の浄明寺の谷戸に往んで病を養っていた。扇ケ谷もそうだが、浄明寺も落葉の深い谷戸である。子供の私が焚火にはしゃいでいたとき、少し離れた浄明寺の谷戸では青年・松本たかしが焚火をしていたのである。「とっぷりと後ろ暮れゐし」は全くうまいと思う。火の色を見ていて暮色が迫っていたのに気づかなかったのである。私が松本たかしという俳人の存在を知り、この焚火の句を知ったのは、句が発表されてから十年後である。それ以来、秋の愛誦句となっている。
 
 <出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著>
 

 
 <平成20年11月掲載>
 
 雁やのこるものみな美しき (石田波郷)
 
 
 
 「留別」の一句、自註に「昭和十八年九月二十三日召集令状来。雁のきのふの夕とわかちなし、夕映が昨日の如く美しかった。何もかも急に美しく眺められた。それら悉くを残してゆかねばならなかった。」句は俳句が必要とする具象的なものを何一つ描いていません。
雁もその日、折よく空を渡っていった、というものではないかもしれません。だが、雁は日本の詩歌の伝統の中で、もっとも哀しく美しく詠われつづけてきたものです。まるで留別のかなしみをのせて、はるか夕映えの空を渡って消えてゆくようです。いわば日本の詩歌の伝統の、最も美しい地点で詠われた一句といえましょう。山本健吉は、のちの「雁や東の間に蕎麦刈られけり」の「雁」にも、「半ば虚辞であり、半ば実辞である」と言っています。季語・雁(秋)
 
 <出典:NHK近代俳句鑑賞 森 澄雄 評>
 

 
 <平成20年10月掲載>
 
小春日や石を噛みゐる赤蜻蛉 (村上鬼城) 
 
 
 
 大正三年ごろの作。「小春日」が冬の季語。「赤蜻蛉」は秋の季語ですが初冬まで生き残った赤蜻蛉ということになります。初冬の小春日に生き残った赤蜻蛉がいた。というだけだったら恐らくありふれた句になったでしょう。何といってもこの句の眼目になるものは、中七の「石を噛みゐる」です。まさか蜻蛉が石を噛む筈はありません。小春日の石に翅をやすめている赤蜻蛉の姿がまるで石に噛みつくように必死にすがっているように見えたのでしょう。鬼城は単に姿を写すばかりでなく一昆虫の生命までも写しているのです。秋が終ればやがて死んでしまう哀れな昆虫の生命の息づきを見のがしていない点にこの作家の魂が見られるではありませんか。
 
<出典:NHK近代俳句鑑賞 能村 登四郎 評>
 
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