名句鑑賞
【平成21年1〜3月掲載】
 
 <平成21年3月掲載>
 
天平のをとめぞ立てる雛かな (水原 秋桜子)  
 
 
 
 雛はひいなと読みます。ひいなは古語。男雛に寄り添った女雛なのでしょう。男雛は袖をひろげ、女雛はあねさま人形のように、袖をつつんですらりと立っています。下ぶくれの豊かな頬の白い面立ちに、黒い細目がいきいきと引かれいて、さながら天平の乙女が立ち現れたよう。作者の回顧回想の情の濃い作品ですが、「天平」と「ひいな」の古語の呼応はおおらかな調べを奏でています。さらに「かな」止の詠嘆がこの句の情懐をふかめているといえます。
 
<NHK近代俳句鑑賞 野澤 節子評>
 
 2009Top

 
  <平成21年2月掲載>
 
 谷水を撒きてしづむるどんどかな  (芝 不器男)
 
 
 
 どんどは一月十四日の夜行なわれるどんど焼きのこと。正月に飾っておいた松飾りや、注連飾りを集めて焼く行事です。地方では、現在も盛んで、少年団が家庭から飾りを集め、青年たちが加わって、山から間伐した木の枝などを高く積んで、雄大な火の祭りが展開されます。この句も、そんな光景があらわされており、あまり火勢が強くなりすぎて谷から水をくみ、燃えさかる火をしずめているのです。寒さのつのる闇の中で、真っ赤な炎をあげて燃えるどんどの火には、自然を神としていた古代人の思いと同じような崇高さが感じられます。
 
 <出典:NHK近代俳句鑑賞 福田 甲子雄 評>
 
2009Top

 
 <平成21年1月掲載>
 
三椀の雑煮かゆるや長者ぶり (蕪村) 
 
 
 
 めでたい正月の膳である。なます、数の子、田作り、昆布巻と、しきたりで決まっている料理はあっても、主役は雑煮である。「雑煮を祝う」という言葉のあるとおりだ。
その昔の食生活では餅は貴重な食品だった。特に農村ではそうだった。祝い事があったりすると搗く。農家は 自給自足である。餅のための糯米(もちごめ)は自分の家の田で作る。余分に食べたいからといって、米屋から買ってくるわけではないのである。餅をたらふく食べるということはぜいたくなことだったのである。
 その餅の入った雑煮を三椀も食べた。その男はどのような人か。大家族の時代である。家の子郎党の集まった正月の宴の最上席にどっしりと座った家長に違いない。それとも、正月の家族の集まりか。貧しいが皆、元気だ。長者気取りで、雑煮を三椀もお替わりをした。そういう意かも知れぬ。いずれにしてもめでたい句である。
 蕪村(1716〜1783)は俳句史のうちで芭蕉につぐ大家。芭蕉と違って、ゆとり、余裕のある句風で知られ、画家としても高名。晩年は京都に住んだ。 
 
 <出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著>
 
2009Top