名句鑑賞
【平成21年4〜6月号掲載】
 
<平成21年6月掲載> 
 
溪の樹の膚ながむれば夏来る (飯田 蛇笏) 
 
 
 
「夏来る」は立夏。まわりの本々も芽吹きの葉がやっと広がり始めた頃です。初案は「夏来る欅老樹の木膚かな」であったという自注があります。すっくと伸びた、太い灰白色の欅の大樹に鮮やかな夏の季感を見ているのです。しかも、その樹の近くにつきすぎず、「ながむれば」という表現によって、ある程度の距離をおきました。そこにおのずからこの樹の高さや太さが想像できます。何かどうだというような細かい描写など一切省いたところに土着の人のおおらかな心がよく出ています。昭和二十四年の作。作者六十四歳。 
 
<NHK近代俳句鑑賞   廣瀬 直人評> 
 
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<平成21年5月掲載> 
 
 蝶が来る阿修羅合掌の他の掌に (橋本 多佳子)
 
 
 
多佳子第四句集『海彦』所収。昭和二十八年の作。「興福寺」の前書があります。奈良興福寺の有名な阿修羅像に蝶をまつわらせた美しい句です。興福寺の阿修羅橡は、三面の顔と六本の腕を持つ少年像として表現されています。正面の二本の于は合掌していますが、他の四本の椀は別々に伸びて、釈尊守護の役を課せられています。合掌していない方の掌に蝶が舞っているのです。「他の掌に」という表現のうまさ、切れ昧のよさがポイントでしょう。興福寺阿修羅像の少し眉根をよせた、優しくひたむきな少年の表情を知っていると、この句の世界は更に美しいものになります。 
 
<NHK近代俳句鑑賞   野澤 節子評> 
 
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 <平成21年4月掲載>
 
蟇(ひき)鳴いて唐招提寺春いづこ (水原 秋桜子)  
 
 
 
「春いづこ」は行く春への感慨。作者は大和への憧憬から古寺巡りをし、寺院、仏像などの緒作が多いのです。その中でもこの句の調べのうつくしさは、その情感と相まって無類なものと言えましょう。この句の感慨にはかって訪れた唐招提寺の華やかな春の幻影が重なっています。池のほとりに鳴くひきがえるの声がさびしく、春らしい景物の乏しくなった唐招提寺の静けさが、一層春の情をかりたてたのでしょう。天平宝字年間、唐僧鑑真和上によって建立された隆盛時への懐古の思いもないとは言えません。
 
<NHK近代俳句鑑賞   野澤 節子評>
 
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