(平成17年1月〜3月掲載)


<平成17年3月掲載>

摘草の人また立ちて歩きけり   高野素十

すっきりした感じのする句である。この句のみならず素十君の句はそういう感じの句が多い。それというのも写生の手腕がたしかなからである。私が口癖の如く言うように、写生の技倆が進むにつれて、単純になって来る。単純なものを描いて而も複雑な感じなり景色なりを表し得るということは、老熟なものでなければ出来ぬ。要領のいいという言葉がある。要は扇のかなめで、一番扇で大切なところである。領は着物の襟で、これも着物の主要な点である。要をつまみ、襟をつまめば、扇全体着物全体を容易く自由にすることが出来る。写生の要はその要領をつまむ所にある。 素十君のこの句の如きは要領を得ている描写である。(昭3・5)

<出典  ホトトギス雑詠句評抄(小学館)よりの虚子評>

昃れば春水の心あともどり    (星野立子)

「あともどり」という普通に用いる言葉をこの場合生かして使っている。春も初めの頃、日が当たって居る春水という感じがしていたのであるが、日が突然昃ると、興が醒めたようにこの感じが無くなって仕舞う。それを「あともどり」と云ったのである。この「あともどり」が有る為にその醒めた心持も出ておるし、またそれが早春であることも説明を待たずして諒解される。(昭8・5)

<出典  ホトトギス雑詠句評会抄(小学館)よりの虚子評>                

ふだん着でふだんの心桃の花   (細見綾子)

春に咲く樹の花。梅にはじまり、桃、桜、それから果樹だが、梨の花、林檎の花、杏の花、どこか似ている。それもそのはず、どれもバラ科である。植物学的にはそうだが、詩人の目から見ると随分と違う。梅は清楚で凛々しい。桜は花の王者だ。堂々とした風格をもつ。梨の花は、どことなく寂しい。林檎、杏もそれぞれ個性がある。桃の花は素朴で田舎娘の純朴さがある。まさに「ふだん着」でみる花である。桜の場合、花衣という季語があるように、花見には衣装の綺麗を競う。梅見もそうだ。しかし桃の花をみるときは「ふだん着でふだんの心」なのである。作者 細見綾子(1907−1997)の代表作。細見さんは、木綿縞の和服の似合う美しい人だった。桃の花を見るときの着物として、作者は木綿縞を心に浮かべていたのかもしれない。戦前の作である。

<出典   秀句鑑賞十二ヶ月  草間時彦>


<平成17年2月掲載>

大空に延び傾ける冬木かな   (高濱 虚子)

冬木には、天に向かってのびようとする勢いが感じられる。道に並ぶ木々を見ながら、その勢いは、葉を失ったことで得られるのではないかと思った。葉は枝から上向きにでていても、葉の先の方は下を向いていることがよくある。葉先を、いわば下向きの矢印とすれば、葉を落としきった木には、それが全くない。かわりに、多くが天を指してのびている枝や枝先という無数の上向きの印が強調される。それが、のびる勢いを感じさせる。・・・・一本の桜に近づくと、そこには芽がいくつもついていた。まだ小さくて堅い。しかし内側から外の世界に出て行こうとする気配は十分にある。・・・・新しい息吹が宿り、近づく時を待っている。

<出典 05−2月4日(立春)付 天声人語より>

雪深く仏も耐えて在(おは)しけり   (伊藤柏翠)

野外にある仏であろうか屋内にある仏であろうか。恐らく屋内にある仏であろう。屋根は深い雪に圧せられてみしみしと鳴っているような心もちがする。その雪に耐えて仏はじっと辛抱して居る。如何にも雪の深いことを思わしめる。(昭和18・6 )

<出典 ホトトギス雑詠句評会抄(小学館)よりの虚子評>

下萌にねぢ伏せられてゐる子かな    (星野立子)

「下萌」は、早春に大地から草の芽の萌えだすこと、冬枯れの中から春気が動いて、野にも、道の傍にも、垣根や岩の間にも、思わぬところに萌え出した草の芽を見ることが出来ます。春の来たことに敏感な子どもたちは、こもりかちだった室内のあそびから外へ飛び出して、野でも道でもかけまわります。古草の中に青い芽の萌え出した、野原や土手などで、男の子たちはたちまち組んずほぐれっ遊びはじめるのです。その一人がとうとう、下萌の大地にねじ伏せられてしまった。こんな光景は今の都会では見られなくなりましたが、下萌の大地さえあれば男の子たちはきっととっくみ合いをはじめるでしょう。

 <出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  野澤 節子 > 評               


<平成17年1月掲載>

遠山に日の當りたる枯野かな    (高浜 虚子)

明治三十三年作。自ら「静寂枯淡の心境を詠ったもの」と言っています。虚子二十六歳の作品です。蕭状たる広い桔野はすでに日がかげり、遠山だけにぽっかりと日が当っています。それは心の灯をともすようにほのかなあたたかさをたたえています。この句は「桐一葉日當りながら落ちにけり」、「流れ行く大根の葉の早さかな」とともに彼の写生句の代表句とされていますが、必ずしもそうではないでしょう。後年、彼は息子の年尾に、故郷松山のうちを出て、道後のうしろの温泉山にぽっかりと日の当たっているのが見えた、それがこの句だ、と回想を語っていますが、また死の前年には「自分の好きな自分の句である。心の中で常に見る風景である。……私はかういう景色が好きである。わが人生は概ね日の当らぬ枯野のごときものであってもよい。寧ろそれを希望する。ただ遠山の端に日の当ってをる事によって心は平らかだ」と書いています。彼の人生観でもあり、むしろ心象風景の一句だったといっていいでしよう。誰の心にもある風景として懐しさがあるところに、この旬の佳さと、人口に膾炙した普遍性がありましよう。季語・枯野(冬) 

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  森 澄雄 > 評

冬の水一枝の影も欺かず    (中村 草田男)

秋に「水澄む」という季語がありますが、この句の「冬の水」は、秋の水の澄明感に対して透徹した感じをあたえます。冬の木々の多くは葉をつけていませんから枝の一つ一つがはつきりと分れてその姿をさらします。この裸木をうつして水中にも寸分ちがわない裸木が出現する。作者も含めて一切がこのようにうつしとられるもう一つの世界を作者は見ている。見ているばかりでなく、何物かに見られている感じがつよい。俳句における「写生」の極意を、この句ほど端的に示したものはほかにないようです。 

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  原 裕 > 評  

大仏の冬日は山に移りけり    (星野 立子)

立子は高浜虚子の二女。虚子の唱導した客観写生を信奉、そのナイーブなこだわりのない作風で、「ホトトギス」にたちまち頭角を表しました。この句はその初期の句。鎌倉の長谷の大仏での作、大きな露座仏がの前に見上げるほどに近々と拝せられます。それまで大仏のからだに当っていた日がふとかげったとおもい眼を移すと、日の短い冬の日射しはもう、うしろの山に移っていたのでした。山をうしろにして座した大仏の姿が、さらに大きく、山の松や杉のみどりがふかぶかと感じられたに違いありません。実におおらかな作。 

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  野澤 節子 > 評