名句鑑賞
【平成21年7月〜9月掲載】
 
 <平成21年9月掲載>
 
曼珠沙華落暉(らくき)も蘂(しべ)をひろげたり(中村草田男)
 
 
 
「曼珠沙華」は秋の彼岸のころに咲く彼岸花。「赤い花なら曼珠沙華」とうたわれるように真赤な、あたかも髪飾りにふさわしい花で、花片を四方にひろげ、無数の雄ずいと数本の雌ずいを十方にひろげます。野辺に咲く曼珠沙華に、いま落日がかかっている。落日もまたその光りの矢を四方に、十方に放っています。この競い合うものをみつけ出した作者の眼元もかがやいていることが想像されます。十方界を照らす光は阿弥陀仏そのものの本体で、曼珠沙華がその姿をうつしているとことをうけとめたのはこの作者の想像力のゆたかさです。 
 
<出典: NHK近代俳句鑑賞  原裕 評>
 
 2009Top

 
<平成21年8月掲載> 
 
四五人に月落かゝるおどり哉  (蕪村)
 
 
 暦が陰暦だった昔の盂蘭盆の七月十五日は満月だった。電灯のない昔だ。人々は月光のもとで盆踊りを踊ったのである。明治に入って暦が陽暦に変わると、七月十五日ではまだ梅雨である。雨が降っては盆踊りどころではない。月おくれの盆だと、月齢とは関係がない。しかし、電灯などの照明が発達しているから、月が出ていなくともいっこうに差し支えない。陰暦の盆は満月だった。
 踊りは夜の七時か八時ごろから始まる。月はすでに中天にある。村の広場に村人たちが集まる。踊りのたけなわは九時か十時だ。それが過ぎると二人、三人と家に帰っていく。
 大勢だった踊りの衆も夜が更けるにつれて、十人足らずになってしまった。月は西に傾いている。露がびっしりと降りている。深夜十二時を過ぎた。そろそろ終わりのころである。人々はほてって汗ばんだ体で、露がいっぱいの道を帰ってゆくのである。月は西に沈もうとしている。
 
 <出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著>
 
2009Top 

 
<平成21年7月掲載> 
 
 さよならと梅雨の車窓に指で書く(長谷川素逝)
 
 
 
長谷川素逝(1907〜1946)は三重県津の人で、若くから高浜虚子に俳句を学んだ。
日中戦争で出征中の作が句集『砲車』で、評判が高く、戦争俳句作家と呼ばれるようになった。しかし、この人の本頷は田園の静かな風景を詠んだ句にあり、また、口語俳句などのさまざまな試みにあると思う。戦争で家を焼かれ、自身は結核で臥し、昭和二十一年、三十九歳の若さで没した。戦争犠牲者といってもよい。
掲出句は口語俳句。昭和十年の作。発想も口語的である。口語俳句は現代では珍しくもないが、その当時としてはユニークなものだった。梅雨どきの列車の内である。
作者は客車の内にいる。湿度の高い梅雨で、窓ガラスには水滴が付着して曇っている。ガラス窓の向こうのホームには誰かがいる。作者を見送る人だ。作者は指で窓のガラスに、さよならと書くのである。
青春俳句といってよいであろう。昭和十年といえば、日本が戦争に傾斜してゆく時代だ。 
青春俳句としてははかないが、当時としてはこれで精一杯だったのである。 
 
<出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 著> 
 
2009Top