<平成17年7月〜9月掲載>


<H17.9月掲載>


念力のゆるめば死ぬる大暑かな (村上 鬼城)

大正四年。五十歳を過ぎた頃の作品。老年期に入一た鬼城にとってはとにかく夏の暑さはたまらないものだったらしいようです。殊に海のない高崎という所は、山にかこまれているだけに風でもない日はよほど暑さに抵抗する力がなくては暮らせない所です。「念力」は頑張りぬく一念で、そういう心の張りがなければとても生きぬいてはいけないような猛暑だという意味です。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  能村 登四郎 評>


舷のごとくに濡れし芭蕉かな  (川端 茅舎)

茅舎や野見山朱鳥などは、「ごとく」「ごとし」という直喩を多用し、しかもその巧さで定評があります。「ごとく」「ごとし」を安易に使うことは戒めなければなりませんが、見事に意外なものを比楡したとき、そのものの印象かはっきりと焼きつけられます。この句は、雨か露か自然現象で濡れたあの大きな芭蕉の葉を、舷(ふなばた)のようだと喩えています。なるほど、そう言われてみると、濡れた芭蕉の葉のみずみずしさが眼前にあるような、鮮やかな印象をうけます。比楡の巧さの醍醐味を満喫させてくれる句です。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  藤田 湘子 評>


<H17.8月掲載>

真向ふに東山あり鉾進む  (野村 泊月)

祗園祭は京都・八坂神社の祭礼である。七月十七日がそのクライマックスで、二十三台の鉾、八台の山車が市中を巡行する。四条通りに勢ぞろいした鉾は長刀鉾が先頭と決まっていて、以下はくじ引きで順が決まる。四条通りを東へ進むと、この句のとおり、正面に東山が見えるのである。巡行の行列は四条河原町で北へ方向を変える。あの大きな鉾が方向を変えるありさまは壮観である。河原町を進む鉾は御池通りを西に曲がり、コンチキチンの祗園囃子にはやされて御旅所へ戻るのである。
この句の鉾は四条通りを東へ進む鉾である。動き始めたばかりだが、今日の晴天を約束するように日が強い。鉾を引く人たち、鉾の上の人々、そして見物する人々、みな汗だくだくなのである。
野村泊月(1882〜1961)は高浜虚子門。関西で活躍した。この句は昭和四年の作。句集『比叡』に収められている。祗園祭は多くの人によって詠まれているが、この句の素朴な詠み方は、いかにも昭和初めらしく好ましい。

<出典 秀句鑑賞十二ヶ月 草間時彦著(朝日新聞社刊) >


祭笛吹くとき男佳かりける
  (橋本 多佳子)

句集「紅絲」所収。昭和二十三年の作。「戦後はじめて京都祗園祭を観る」と前書のある一連の一句です。祗園囃子の笛方を詠んだ句です。「男佳かりける」とずばリと言ってのけたところに、すがすがしい男の伊達姿が見えます。この笛は横笛であつてほしいところ、横笛をかまえた男の姿には確かに或る美意識があります。多佳子はそれ直截に掴み出しました。「けり」でなく「ける」と止めたところもまた、瀟洒というべきでしょう。
<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 飯島 晴子>評


ピストルがプールの硬き面にひびき  (山口 誓子)

昭和十一年の作です。競泳のシーンにちがいありませんが、スタート台からとびこもうとする泳者たちの姿がすこしも感じられてきません。数秒後には水面に水しぶきがあがり、数名の泳者が水面を全身でたたくのですが、今はまだ水面はしずまりかえっているのです。その硬い水面を打つものは轟然たるピストルの音。その音が硬い水面にはねかえり、空へ流れるのです。のちに「海に鴨発砲直前かも知れず」という句が作られますが、このプールのしずまり方を見ると、動の前の静という点では同様の感覚です。ピストルの音はその静をひときわきわだたせる音です。何ともドライな、機械のような感覚です。村野四郎の『体操詩集』を思い出します。
<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 平井 照敏>評


<H17.7月掲載>

さみだれのあまだればかり浮御堂  (阿波野 青敏)

近江堅田の浮御堂です。作者の自解によると、この建物には樋がないので、降った雨は屋根からすぐに湖(琵琶湖)へ落ちるのだそうです。その雨だれの音が一読して聞こえてくるように感じるのは、一句の中に、だ、だ、ば、ど、という濁音が四つもあるその効果だと言えます。五月雨にけぶる浮御堂の建物と、そこから四方に落ちる雨だれの音。「ばかり」はそうした単調な風景とリズムとを強調した言葉ですが、単調の中になにか孤独のおもいが広がって、味わい深い作になっています。
<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 藤田 湘子>評


七月の青嶺まぢかく熔鉱炉  (山口 誓子)

昭和二年の作。この句は、誓子が東大法学部を卒業し、大阪住友合資会社労働課員となった翌年、北九州八幡製鉄所に出張した時に作られました。青嶺はしたがって皿倉山のことです。「七月」も「青嶺」も季語ですが、この句の場合、「七月」の方が季語として使われているようです。この句の焦点は、青嶺と熔鉱炉のぶつかり合いにあって、活気にみちた夏の自然の生成の勢いと鉄のにえたぎる炉の人工の激しい力との対照が、まことに目ざましく感ぜられます。そうした自然と人工のエネルギーをたたえながら、句はまことに静かにがっしりと構成されています。この句を絶讃する人が多いのも当然と思われます。熔鉱炉を作者の分身と考える人もおりますが、そこまで考える必要はないでしょう。
<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞  平井 照敏>評


朝顔や濁り初めたる市の空
  (杉田 久女)

その頃、久女は小倉の堺町に居を移していました。小倉は北九州の工業地帯として発展していますが、当時も工場が林立して煙が空を濁らせていたようです。夜明けにかけていくぶん澄んでいた空も朝顔の花が開く頃になると残念にも濁り初めてくるという句意です。朝露を含んで目覚めるような新鮮な色の朝顔と、煙で濁りはじめた町の空との明暗がくっきりと浮かびます。実景だけをことばにしながら、朝顔に対する憐愍の情も窺えます。
<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 中村 苑子>評