(H17年10月〜12月掲載)


<平成17年12月掲載>

小夜時雨上野を虚子の来つヽあらん  (正岡 子規)

明治二十九年の作。「病中二句」と前書のあるうちの一句です。子規は明治二十八年、日清戦争に従軍、帰国の途中喀血、以後病を養う身となります。高浜虚子は、河東碧梧桐とともに、子規の最もたのみとする弟子であり同行者でありました。その虚子を待っている子規の、病人らしい心の動きの察せられる句です。子規の住む根岸は上野のすぐ近くです。夜の時雨のなかを、虚子はもう上野のあたりをこちらへ来るところだろうという意味です。子規の想いのなかを虚子がまざまざと上野を歩いて来つつあります。「小夜時雨」という美しすぎる言葉が、この場合不思議にぴったり効いています。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 飯島 晴子 評>

啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々 (水原 秋桜子)

まさに洋画の、しかも外光派のタッチの俳句です。芭蕉、子規、虚子の俳句の系譜の中にはかってなかった印象画風の明るい作風。山本健吉は「彼の作品が在来の俳句的情趣から抜け出て如何に斬新な明るい西洋画風な境地を開いているかと言うことだ。これらの新鮮な感触に満ちた風景画が、それ以後の俳句の近代化に一つの方向をもたらしたことは、特筆して置かなければならない。」と『現代俳句』の中で述べています。当時の青年たちは、秋櫻子の俳句を随喜して待ちのぞんだことでしょう。高爽な晩秋の景と情。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 野澤 節子 評>


<平成17年11月掲載>

また一人遠くの芦を刈りはじむ (高野 素十)

むかしは刈った芦を干して農家の屋根を葺いたりしましたから、晩秋から冬にかけて芦刈りがさかんに行われました。この句の情景も、湖のにひろがる枯芦原で村人が芦を刈っています。明るい枯れ色の茂みの中を動く黒い人影、刈られるたびに揺れる芦の穂。じっと見ていた作者がふと眼をあげると、遠く離れたところで芦を刈りはじめた一人がいるのです。静から動へ、ひるがえるような瞬時の事実の把握が見事です。<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 中村苑子 評>


遊びゐるたゞの子供や七五三
 (深川正一郎)

三歳と五歳の男の子、三歳と七歳の女の子の成長を祝して、神社に詣でるのが七五三である。江戸時代にはじまったという。十一月十五日が定例日だったが、現代では十五日にこだわらず、十一月の日曜にお詣りする人が多い。子供の服装は年々派手になりつつある。長い袋に入った千歳飴を買って帰るのがしきたりである。
この句の面白いところは、七五三の子供を詠わずに、七五三に該当しないただの子供を題材としたことである。ただの子供の遊んでいる傍らを着飾った子供が親につれられて通る。女の子は長い袂の着物を着せられて、歩きにくそうである。飴の袋を引きずっている子もいる。ただの子供は遊ぶのに夢中で、関心を示さない。よく晴れた十一月の日和である。
深川正一郎(1902〜1987)は「ホトトギス」の長老。軽妙な写生の名手。「冬扇」を主宰。
<出典:秀句鑑賞十二か月 草間時彦 評>


<平成17年10月掲載>

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  (飯田 蛇笏)

蛇笏らしさをたっぷりと湛えた名句です。ひややかに静まっていたあたりの空気を波立てる風鈴がかすかな音を立てたのです。もともと真夏むし暑い季節のものであるべき風鈴を秋の音として感じとっているところにこの句の独自性があります。思いがけないものへの驚きではなく、きわめて日常の音として耳を傾けている趣を味わいましょう。下五は、あくまでも「鳴りにけり」で、「ひびきけり」でも「聞こえけり」でもありません。ここに俳句を作るときの秘密があるように思います。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 廣瀬 直人 評>

父がつけしわが名立子や月を仰ぐ  (星野 立子)

作者の心に何か悲しい事があって、あれこれと思い悩んだ末なのでしょうか。ああこんなことをしていてはいけない。と父虚子のわが身へのいとおしみと、望みとをふと思いおこして、「立子」という名を今更のように省みた。再びこんなことではいけないのだと決然と顔を上げ月を仰ぎみたのだと思います。「月を仰ぐ」の字余りの下五が、きっぱりとわれとわが身を叱喀(しった)するかのようにひびきます。悲しみのあったことは何も一言っていないのですが、一句を貫通するリズム感の中から、ここに至るまでの心の綾が手にとるように感じられます。余情というのでしょうか。虚子をして「写生の心」と言わしめた所以です。
<出典:NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 野澤 節子 評>