<H18年7〜9月掲載分>


<H18年9月掲載>

いなびかり北よりすれば北を見る (橋本 多佳子)

多佳子第三句集「紅絲」所収。昭和22年の作。大正末年杉田久女によって俳句を始めた多佳子は、昭和10年から山口誓子に師事することになりました。誓子は多佳子が亡くなるまで、最も大きな影響を多佳子に与えた俳人でありました。
この句なども、誓子の影響が端的に出ています。まず闇空に稲光を走らせ、北という寂しい厳しいイメージによって稲光の一つの本質を鮮やかに存在させています。「北よりすれば北を見る」は、散文として意味だけを受け取るには当たり前のことが述べられているに過ぎませんが、韻文として読むと、「北」を重ねてたたみかけるようなリズムはまことに魅力的です。西東三鬼、平畑静塔らと奈良日吉館に集っての句会は、「紅絲」の秀作の数々を生みました。この句もその一つで、静塔は「人間の悲哀もうち込められている」と評しています。

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 飯島 晴子 評>


<H18年8月掲載>

炎天を槍のごとくに涼気すぐ (飯田 蛇笏)

 「炎天」は、"炎える天へ"、つまりぎらぎらする真夏の空を比喩的に捉えた季語です。山から吹き下ろしてきた一陣の涼風の印象でしょうか。自分の頭の上からはるかな空の彼方へ向けて、まるで抜身の槍の穂先が突き出されたように感じられたのです。比喩による表現は、思いがけなさと同時に実感がないと成功しません。こういう句を見ますと、蛇笏が詩的な感性に恵まれていた俳人だったことがよくわかります。同じ比喩でも、高浜虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」と比べると、両者の資質の違いがはっきりします。

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 廣瀬 直人 評>


<H18年7月掲載>

瀧落ちて群青世界とどろけり (水原 秋桜子)

この瀧は龍野の那智の瀧。この句よりずっと以前に裏磐梯の五色沼を詠った句に「瑠鵠沼に瀧落ちきたり瑠璃となる」があります。ともに色彩ゆたかな秋桜子の美の世界ですが、この「群青世界」はことに素晴しい。「群青」は日本画家の賞用する鮮麗な青色の粉末で、天然のものは扇青石を粉末にしたもの。鬱蒼と茂る杉山中の中に、直下約130メートルの瀧が水量ゆたかに落下している。まさに天地もとどろかんばかりの瀧音です。山を蔽う杉木立を群青世界と表現し、一気に詠み下した主体的な力勤感には気魄がこもっています。この時七句を詠っていますが、この句は秋桜子のいのちのこもる代表作。

<出典 NHK学園 俳句講座 近代俳句鑑賞 野澤 節子 評