吟行記
【平成22年8月号】 
 
第72回 平成22年7月13日(火)〜15日(木)
 
参加者 佳与子・節子・聖子・温子・真理子・光子・千種・裕子・典子・由紀子
 
志賀島・追い山笠吟行
 
関東貝寄風のメンバーから「今年こそ追い山笠を見たい」と連絡を受けた佳与子さんから相談されたのが松過ぎの一月中旬。7月の追い山笠には、まだまだ日にちのあることだが宿の確保だけは早いほうがよい。以前追い山笠の宿探しに苦労した経験から、取り合えずのスケジュールを作り、宿を決める。例年追い山笠は7月15日未明、梅雨末期の大雨か空梅雨の蒸し暑さの中で行なわれる。ましてや徹夜か半徹夜状態の見物である。年齢相応の無理のないスケジュールを心掛ける。
皆でのんびりできる所ということで志賀島国民休暇村を候補に上げる。国民休暇村は六ヶ月前から予約受付なので、それに合わせて節子さんが予約をいれる。追い山笠の常宿になりつつある「鹿島本館」は、今年の料金設定は今からとの返事だったが、佳与子さんが何度か電話を入れ、予約を済ましておく。 
 
7月13日11時過ぎ、佳与子、節子、真理子、由紀子の九州組は早々と博多駅前に集合し、福岡空港から地下鉄で来る温子さん、裕子さん、典子さんを待つ。梅雨前線が活発化し、福岡にも大雨洪水警報が出ている。雨の飾り山笠の前で無事合流。5月末の京都以来だから2ヶ月半ぶりの再会である。 
 
  
 
待ち合わす改札口の飾山笠      温子

高々と飾山笠雨に立つ         裕子

列車待つ男山笠長法被
         節子
 
すぐにタクシーに乗り込み博多埠頭へ向う。埠頭からは志賀島・玄海島、壱岐・対馬、五島行きなど市営渡船や九州郵船などのフェリーが発着する。埠頭内の商業施設「ベイサイドプレイス博多」は福岡の観光名所でもあるが、大雨の埠頭には人影はまばらである。昼食後、13:50発の志賀島行き渡船に乗り込む。ほぼ貸切状態。窓の景色は博多港の倉庫群から壇一雄所縁の能古島や地震復興の玄海島などが見え始めるが、雨脚は強く、渡船は川から流れてきた流木や木の枝や生活ゴミなどが浮いている中を西戸崎など寄港しながらゆっくり志賀島の桟橋に着岸する。 
 
  
 
乗降の客なき埠頭梅雨深し       佳与子

梅雨濁る渡船の波のうねりかな     裕子

地震の島あたりより海霧薄れきて    節子

島渡船出水の芥分けて着き       由紀子

岸壁に葛らしきあの茂りやう        温子

防人の島にバス待つ花木斛        典子

左右より茂りかぶさる島の道        裕子

流木のあらはに昏し梅雨の浜      真理子 
 
休暇村の送迎バスに乗り込む。JR西戸崎駅からの乗客も乗せバスはほぼ満席。休暇村は島の反対側の突端にあるので、バスは島の半周を走る。夏草や木々の茂る海沿いの道は、博多の街を遠くに見ながら、若布のとれる岩場や「金印公園」の入口を過ぎて、玄海灘の広がる休暇村に着く。敷地内にある「しかのしま資料館」で、昔の漁具、農具、生活用具の展示品、また金印発掘に関する文書や絵図、また島の万葉歌碑の写真や説明文をみる。金印はレプリカで、国宝の本物は福岡市博物館に展示されている。海岸線まで下りて行き、岩場で海胆を採っている人を見たり、小さな鳥居のある沖津宮近くまで歩くなど、それぞれに吟行する。 
 
 
海胆を採る岩場に梅雨の波強し    真理子

七月の大潮の日に蛸を釣る        典子

梅雨の海半身沈めて貝を採る     佳与子

梅雨傘を上げて一礼沖津宮      由紀子

梅雨傘の一人二人と岩場へと     佳与子

万葉の島の碑月見草            温子

ずぶぬれの猫とぼとぼと島の梅雨   節子

また沖の閉ざされてきし梅雨の浜   裕子 
 
夕食会場からも海が見下ろせる。玄界灘に沈む夕日が美しいのだが、雨脚はだんだん激しくなり沖は見えない。料理は烏賊の活き作りの大皿が並び、これでもかと言うほど次から次と運ばれてくる。料理が宿側の手違いで若干違ったが、その分デザートなど別腹にも入りきれないほどサービスされる。10句出句。 
 
はまごうの花に雨脚強まりて      裕子

さきほどの島無きごとくさみだるる  裕子

沖昏く島うすれゆく梅雨の浜     由紀子

遠雷の低き唸りの島泊まり      真理子 
 
  
 
14日小雨の中、9時45分発の送迎バスで志賀島渡船の発着港へ。コインロッカーに荷物は入りきれないので事務所に置かせていただいて、近くの「志賀海神社」へ歩いて行く。ここは万葉の昔から「海神の総本社」として篤く信仰されている。鳥居の横にはお浄めの砂が置かれ、身を浄めてから参拝する。境内の鹿角堂(ろっかくどう)が目を引く。格子窓から見える鹿の角は埃をかぶって積み上げられている。神功皇后が対馬にて鹿狩りをされ、その角を多数奉納されたことが起源とされる。 鹿角は祈願成就の御礼に奉納され、中にはウキを付けて海に流されて来たものを漁師が拾い上げ奉納したものなどがある。現在では1万本以上あるらしい。
亀の形の「亀石」も祀られ、そこからは玄海灘と志賀島とつながる海の中道の松原や遊園地の観覧車、その先の福津の浜が見渡せる。辺りを出航の時間まで吟行する。浜には客らしい人影はなく、海開きの神事の跡が残されたままになっている。漁港に泊めている舟にも人の出入りはない。 
 
  
 
外海に出水の濁り帯をなし         由紀子

鹿角庫案内板の梅雨湿る           典子

だんご虫でんでん虫をよけて這う      節子

海開神事あとらし砂浜に          佳与子

夏草に漁網干されて志賀港          典子

広げ干す魚網を浜の夏草に        佳与子

ハチクマの来るという山夏の霧       温子 
 
11時35分発の渡船に乗る。渡船内のテレビでは福岡県内の大雨による避難勧告のテロップが流れている。島に避難していたかのごとく怖い思いもせず、楽しい一夜をすごせたのは何よりである。寄港の西戸崎から年配の法被姿の男性が乗ってくる。いよいよ山笠の街が近づいて来る。雨はほとんど止んでいるので、避難勧告のニュースが信じ難いが、山の辺りの黒い雲や博多港の茶色の水に大雨の跡を見る。 
 
島渡船山笠の男と乗り合わす        裕子

警戒の出水の町に帰港して          温子

追い山笠を明日に控えし町につく     真理子 
 
  
 
埠頭からすぐにタクシーで「鹿島本館」に行く。すでに九州朝日放送のクルー達が追い山笠放送の会議を開いている。邪魔にならないように、フロントのすぐ横の階段の突き当たりが我々の部屋になっている。櫛田神社の楼門が見える宿は他にない。昼食は傍の蕎麦屋の二階。大雨で高速バスが動かず、JRも大幅に遅れたので心配したが、無事光子さん到着。聖子さんや朝飛行機で羽田を発った千種さんとも合流でき、揃って櫛田神社に参拝する。 
 
天辺の幣に風あり飾山笠            千種

デニム地の夏帽子にて長法被         聖子

水頼む願ひ小声に山笠法被          聖子

クレーン車に大型カメラ祭前          節子

清道旗向けてカメラの山笠準備      真理子

梅天へ据ゑる神鼓の三つ巴          千種 
 
準備中の追い山笠会場を見てから東長寺方面へ歩いていく。この辺りは追い山笠コースでもあり、広い通りから一歩中に入ると狭い通りとなり、道筋の長屋のような狭い玄関口に小さく「山笠総代」の名札が掛けていたり、舁き縄が手摺に干されていたり、静かな中に山笠の街を実感する。締め込みの男衆があちらこちらから、各々の詰め所に集まり初めている。中州川端の賑やかな通りから追い山笠コースの「廻り止め」となるリバレインまで、飾り山笠や舁き山笠を見て回る。リバレイン横の「大黒流れ」は17時に流れ舁きの出陣をするというので近くに陣取る。この時間になるとどの通りにも流れ舁きが始まっている。オッショイ オッショイの声に街が沸き立つ。熱気に雨は降らずにいる。 
 
   
 
四、五本の舁き縄干され祭路地      佳与子

川風の運ぶ神酒の香祭町            千種

じりじりと熱気昂ぶる山笠の町         聖子

追い山笠の時計係を三世代          聖子
 
祭町勢ひの水の角々に             典子

山笠を舁く地下足袋に先ず勢い水      光子

息合うて山笠の舁き手の替わり際     由紀子

舁き縄とお汐井枡を山笠の家         光子

飛びだしてきさうに山笠の飾りかな      裕子

続々と舁き手集まり流れ山笠         節子

舁き縄を締め込みに挿し山笠男      由紀子

交代の山笠の舁き縄振りあげて       温子

山笠去りて水の匂ひの残りけり       千種 
 
博多座裏の「吉一」にて夕食。全員揃ってまずビール。美味しくいただいた後宿に戻って10句の句会。
午前3時起床。雨音に起き、窓からみると土砂降りである。止みそうにないので全員合羽を着て、すぐ楼門前の席を陣取る。例年のように後ろから横から押されつつ開始時間まで待つのだが、雨が合羽の中の服を濡らすほど降り込む。隣の人の傘から滴る雨には参ってしまう。中には通り抜ける様にして居座る輩もいて腹立つこともあるが、辛抱、辛抱。
ようやく4時59分に近づく。雨音に放送の声が混じり、静まりかえることはなかったが、一番山笠の祝い唄を聞き、東長寺の敬拝を見て、舁き山笠を追いかける。廻り止めを抜けていく山笠をもう少し見ればよかったが、一度道路に出たら見物列に入れないほどの人の山。こう行けば良かったなど反省することもあるが、大方見所を押さえて見物する。
櫛田神社の「鎮め能」をみて宿に引き上げる。14時裕子さんは東京へ戻り、佳与子、由紀子は自宅へ。千種さんらは二日市、太宰府へ向い解散。 
 
  
 
祭宿部屋一杯に布団敷く             典子

冷房に祭座布団しんと冷え            聖子

人の声高まり夜半の祭宿           真理子

どしゃぶりの雨となりたる追山笠に     裕子

抱かれゐる祭法被の子も雨に       真理子

指先の雨にふやけて山笠を見る       典子

路地へ入る山笠の勢い圧し縮め       千種

御神燈雨に火虫の飛び止まず         千種

梅雨か汗合羽の中の服濡らし       由紀子

おしょいの声を追いかけ山笠の町      温子

追いかけて先回りして山笠を見る      光子

山笠の直会朝のビル街に           節子

白む空丁寧に山笠解き始む          節子

境内に残る轍も祭あと            佳与子

山笠果てし鎮めの能の大鼓          光子

何事も無かったように祭後           典子

祭果て桟敷に残る泥の跡            裕子 
 
大雨の中の追い山笠見物になったが、これもまた良しで名句がたくさんできました。 
 
  
 
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